野田市東高野:東高野路分け六地蔵など
過日,関宿城三の丸埋門(千葉県野田市東高野)を見学した際,東高野自治会館のあるY字路のような場所を通った。
この場所の北側凸部には六地蔵などの石造物が建立されており,野田市教育委員会の説明板が立てられている。
これらの石造物が最初からこの場所にまとめて建立されていたのかどうかは不明であり,後にまとめられたものである可能性が高いが,この地区の歴史の一部を示す遺跡の一種であることは疑いようがない。
六地蔵は,享保2年(1717年)に造られたものであり,旧日光街道の分岐点の道標として機能してきた石造物なのではないかと考えられる。
一般的には,旧街道の分岐点には馬頭観世音や青面金剛明王等の石像物が建立されて道標としての役割を担うことが多いので,その意味で,この六地蔵は,比較的珍しいものかもしれない。
六地蔵の左側には「無縫塔」と呼ばれる石造物(卵塔)が建立されている。この無縫塔は,即身成仏した僧侶の墓所を示すものとのこと。
史実として,この地で実際に即身成仏が行われたのかどうかを検証する方法はなさそうだ。
しかし,実際に即身成仏が行われたと仮定した上で,一般に,即身成仏は,大規模自然災害に起因する大飢饉の際に行われることが多いので,そのようなことがあったということを現代まで伝えるものだと理解することもできる。
無縫塔の隣りには,庚申供養塔が建立されている。この庚申供養塔は,寛政6年(1794年)に造られたもの。
他に二十三夜供養塔などが建立されている。
東高野自治会館の建物の南西側には小さな御堂のようなものが建立されている。
この御堂の中には庚申塔とされる石造物があるとされている。
インターネット上で検索可能な写真で見る限り,三猿が彫られている台座の上に阿彌陀如来立像が乗っているような形状となっている。
実際に御堂の中を覗いて確認しているわけではないので,確かではないのだが,インターネット上で検索可能な写真のとおりに台座に三猿があるとすれば,その点をとらえて庚申塔の一種だと理解されているのではないかと考えられる。
しかし,台座だけが庚申供養塔だったものであり,後代になって,その台座の上に阿彌陀如来立像を接合させた石仏の一種であり,これを神佛習合における御神体または本尊(山王様)として地元の人々が崇敬してきたものであるかもしれないとも考えられる。
六地蔵などが建立されている場所
六地蔵
無縫塔(卵塔)
無縫塔(卵塔)の説明板
庚申供養塔
二十三夜供養塔(断片の二次利用物)
東高野自治会館
御堂
野田市:東高野路分け六地蔵
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