山武市松ヶ谷イ:勝覚寺
過日,四天尊勝覚寺として知られる真言宗智山派・万徳山勝覚寺(千葉県山武市松ヶ谷イ)を参拝した。本尊は,釈迦如来,
関東八十八カ所霊場第四十六番札所・上総國薬師如来霊場第二十六番札所となっている。
勝覚寺に関しては,成東町史編集委員会編『成東町史 通史編』(昭和61年)の1188~1189頁に詳細な解説がある。また,『成東町史 通史編』の1160頁及び成東町社会教育課編『成東町史料集 特別編5 寺院・神社』(平成18年)の15頁に記載がある。『成東町史料集 特別編5 寺院・神社』133~136頁には,勝覚寺関係の史料が収録されている。
また,「萬徳山勝覺寺」として,千葉縣山武郡教育會編『山武郡郷土誌』(大正5年・復刻版昭和62年)の182~186頁,470~471頁に詳細な解説があり,「万徳山勝覚寺」として,山武郡町村会事務局遍『山武地方誌』(昭和30年)の452~453頁に詳細な解説がある。
勝覚寺は,天暦元年(947年)に開山の古い寺院。『成東町史 通史編』は,円頓寺の末寺としている。この円頓寺は,旧下横地村(現在の山武市下横地)にあった寺院なのだが,現在では廃寺となっている。
勝覚寺の堂宇は,平常直によって修復されたが,火災により焼失。明応9年(1500年),住職・長覚が再興し,天正19年(1591年)に堂宇が修復された。
荻生徂徠(荻生惣右衛門)の筆による勝覚寺の縁起書がある。『山武郡郷土誌』には,その縁起書文が収録されている。
勝覚寺の中心となる建物は釈迦堂。
この釈迦堂には,本尊である釈迦牟尼佛像を中心として,脇侍である阿難像・迦葉像,四天王像4体が配置されている。
この日は,運良く,釈迦堂内においてこれらの仏像を直接に拝することができた。
脇侍及び四天王像は,いずれも鎌倉時代の作とされ,一見の価値がある。特に四天王像はとても大きな仏像であり,迫力がある。
釈迦堂には,木製大賽銭箱(文政十二年)が置かれている。
なお,それらの仏像等の堂内の写真撮影は禁止されている。
勝覚寺の阿難像・迦葉像,四天王像は,いずれも千葉県指定の有形文化財となっている。
『山武郡郷土誌』と『山武地方誌』には,四天王像の由来に関する興味深い逸話伝承を収録している。その逸話の真偽はよく分からないのだが,非常に興味深い。『山武郡郷土誌』と『山武地方誌』とも,四天王像が旧山辺郡四天木村(現在の大網白里市四天木)の海辺に漂着したものだとしている。
また,『山武地方誌』では,「四天木」という地名が「四天寄」に由来するとし,また,四天王像が漂着した四天木から勝覚寺のある松ヶ谷まで四天王像を運搬する途中,休憩して肩を替えた場所なので,「肩替」から転じて「片貝」という地名になったとしている。
勝覚寺の釈迦堂は,大規模自然災害による被害からの修復を含め,これまで何度も修復を重ねてきたけれども,現在,新たな釈迦堂の建設計画が始まっており,そのための寄付金が募られている。
勝覚寺に伝わる童子経曼荼羅図,勝覚寺境内にある覚眼法印の墓,勝覚寺芭蕉句碑は,いずれも山武市指定の有形文化財となっている。
勝覚寺入口の門柱
釈迦堂
斜め前から見た釈迦堂
千葉県指定有形文化財の説明板
客殿
鐘楼
梵鐘
御宮
手水
六角地蔵
地蔵尊
宝篋印塔
聖観世音菩薩
九十九里厄除け大師
延命地蔵尊
不動明王
芭蕉句碑
芭蕉句碑の説明板
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四天尊勝覚寺
山武郡教育委員会:木造四天王立像 四体、木造阿難・迦葉立像 二体
山武市教育委員会:童子経曼荼羅図
山武市教育委員会:覚眼法印の墓
山武市教育委員会:勝覚寺芭蕉句碑
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