館山市国分:国分寺
過日,安房国分寺の後継寺院として知られる真言宗智山派・日色山国分寺(千葉県館山市国分)を参拝した。本尊は,薬師如来。
国分寺に関しては,安房郡教育會編『安房郡誌』(大正15年・復刻版昭和47年)の796~798頁に詳細な解説がある。
『安房郡誌』の中で述べられている寺伝によれば,国分寺の前身となる御堂は,聖武天皇による国分寺造営の詔勅よりも前に存在しており,神亀4年(728年)に諸国の状況を視察するために派遣された勅使が持参した行基菩薩作の薬師如来を本尊として建立され,安房国府の太守からも寄進を受けたとのこと。そして,この寺伝によれば,国分寺造営の際,「歴代棒持せる薬師如来の霊験新なる旨を奏上す。朝廷之を納れ,以て国分寺の本尊となす」と伝えられている。
国分寺の境内地は,奈良時代に造営された国分寺が所在した場所とされており,境内には「金堂跡」とされる場所がある。
その後,仁和4年(888年),国分寺は火災により焼失した。仁和3年には巨大地震が発生し,西日本を中心にして五畿七道が被災したのだが,そのことにより全国的に治安が乱れたのではないかと推測される。
ちなみに,関東大震災(1923年)の折には現在の南房総市~館山市も被災し,曹洞宗・長谷山延命寺(千葉県南房総市本織)付近に「延命寺断層」と呼ばれる大断層が出現した。
享保20年(1735年),国分寺の本堂が再建され,以後,日色山と称するようになった。ただし,現在の本堂(薬師堂)は,比較的最近に新築された建物のようだ。
なお,国分寺の境内地からは弥生時代の甕棺等も発掘されているので,奈良時代の寺院造営よりも前の時代から何らかの信仰の場所または葬祭の場所だったと考えられる。そのような場所であったからこそ,薬師如来を本尊とする寺院が建立されたのだろう。
国分寺入口付近
寺号標
安房国分寺の説明板
山門
本堂(薬師堂)
釈迦堂
半鐘
安房国分寺金堂跡
安房国分寺の礎石
安房国分寺案内図
地蔵菩薩
宝篋印塔
五輪塔
孝子の碑
手水
四阿
千葉県教育委員会:安房国分寺跡
館山市立博物館:まぼろしの国分寺 館山市安房国分寺跡
館山市立博物館:館山市安房国分寺遺跡
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