館山市城山公園のパブリックアート
2026年2月5日のことだが,館山市城山公園として整備されている館山城跡(千葉県館山市館山)を訪問し,見学した。
公園内にある博物館本館前には「彫刻の径」と名付けられた区画があり,様々なブロンズ像や石像などが屋外展示されている。その中にはかなり著名な作品も含まれている。
芸術作品の価値に関しては,鑑賞者の好き嫌いや主観的評価によって左右されるのが普通であり,この私もそうだ。
真の天才による神がかった作品は,何百年後にも人々から称賛され続けることになるのだが,同時代人には理解されないことが珍しくない。
こだま(山本正道作)
水着の女(伊東 傀作)
動(大国丈夫作)
地を這うものども(山崎英五作)
光と風と夢(青木三四郎・酒井 良・下川昭宣作)
道標・鴉(柳原義達作)
慈・愛・訓の像(一色邦彦作)
人魚(佐藤忠良作)
シオン(舟越保武作)
飛天(菊池一雄作)
博物館本館
一般に,真の天才が同時代人には理解されないこと,または,敵視されることは,珍しいことではない。
それら様々な原因の中で,例えば,その時代の権力者や宗教指導者等が有害だと判断して弾圧することはあり得ることだし,実際に多数の事例があった。現代でも存在する。
無論,同業者やライバルの問題もある。
当該真の天才が生きている時代にはライバルや商業上で競合する者が多過ぎ,それらの者による妬みや誹謗中傷や妨害工作によって一般の人々の鑑賞眼が濁らされてしまい,その結果として,真の天才が真の天才として広く認識されることがなくなってしまうということはあり得ることだろうと考えている。
しかし,時代を経るにつれ,二流や三流の作品が次第に淘汰される。これに対し,真の天才の作品は,そのときどきの時代において権力や財力などの社会的な力のある者によって保存され続ける・・・ということがある。
そのときどきの時代における社会的な力のある者がどうして鑑賞眼を養うことができるかと言えば,それは,同時代の作品や過去の作品を含め,非常に多数の作品をコレクションでき,鑑賞でき,比較対照できる立場にあるからだ。
可能な限り多数の異なる対象に対する実際の観察経験の蓄積(=帰納法的な知的作業の繰り返し)なしには知性や鑑賞眼が磨かれることはない。
ところが,現代社会において,生成AIは,正しい情報と腐った情報とを全く区別することなく玉石混交の情報を学習し続ける。
腐った情報の中には攻撃や誹謗中傷だけを目的とする偽情報やAIシステムの処理に意図的なバイアスをかけることをだけを目的とする電子的な仕組みの一種としての情報が大量に含まれている。
それゆえ,生成AIの処理システムは持続的に汚染され続け,劣化し続ける。
そのことを理解せずに安易に生成AIに頼ってしまう若者の頭脳はどんどん劣化し,奴隷としても使い道が全くないような超ダメ状態に向けてまっしぐらということになる。
結局,自分自身で地道に研鑽を重ね,死ぬまで自分自身の独自の判断力を磨き続ける以外に適切な方法はない。
館山城・城山公園
館山市:城山公園エリアのパブリックアート
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