東金市東金:最福寺
過日,日蓮宗系単立・安国山最福寺(千葉県東金市東金)を参拝した。本尊は,一塔二尊四師。
最福寺に関しては,東金市史編纂委員会編『東金市史 総集篇五』(昭和62年)の552~558頁に詳細な解説がある。また,安国山西福寺として,千葉縣山武郡教育會編『山武郡郷土誌』(大正5年・復刻版昭和62年)の170~171頁に詳細な解説がある。
最福寺は,大同2年(807年)に傳教大師・最澄によって天台宗寺院として創始された古い寺院。天台宗・天応山福聚院観音教寺(千葉県山武郡芝山町芝山)と共に,山武地域における二大天台寺院とされていた。
最福寺は,文明11年(1479年)に日遵上人により顕本法華宗に改宗し,寺号を西福寺と改めた。昭和29年,日蓮宗系単立本山となり,寺号を最福寺に改めた。
最福寺の本堂の柱は,聖観音宗・金龍山浅草寺(東京都台東区浅草)の柱材を譲り受けたものとのこと。江戸時代初期に元の境内地から現在の場所に移築・建立された。現在の本堂は,平成5年の屋根の葺き替え工事後の建物。東日本大震災の際に被災したが,金剛組によって修繕された。
最福寺の鰐口,釈迦入滅涅槃図,大黒天像,智者大師画像は,東金市指定の有形文化財となっている。
鰐口に関しては,『東金市史 総集篇五』の883頁に詳細な解説がある。これによれば,「庫裏から本堂に通ずる渡り廊下の一角につりさげてある」とのこと。つまり,東金市指定の有形文化財である鰐口とは,本堂の前に吊り下げられている鰐口とは別の鰐口のことを指す。
智者大師画像に関しては,『東金市史 総集篇五』の818~823頁に詳細な解説がある。釈迦入滅涅槃図に関しては,『東金市史 総集篇五』の824頁に詳細な解説がある。大黒天像に関しては,『東金市史 総集篇五』の824~825頁に詳細な解説がある。
最福寺の多羅葉(多羅葉樹)は,東金市指定の天然記念物となっている。
境内には,日本野鳥の会創立者・中西悟堂氏の歌碑がある。
山門
山門内側
寺号標
南無妙法蓮華経
最福寺の説明板
最福寺の文化財の説明板
石段
本堂前の石段
本堂正面
斜め前から見た本堂
本堂正面の装飾(一部)
鰐口
鰐口の説明板
左側の狛犬
右側の狛犬
本堂屋根破風部
鐘楼の方から見た本堂
歴代住職の墓所
鐘楼
梵鐘
聖徳太子堂
大黒天堂
大黒天堂正面の彫刻
大黒天像の説明板
客殿
客殿正面の彫刻
客殿と回廊
多羅葉の説明板
伊三郎の墓
伊三郎の墓の説明板
中西悟堂歌碑
句碑
句碑
最福寺の境内地全景
安国山最福寺
東金市:市指定文化財 鰐口
東金市:市指定文化財 釈尊入滅涅槃図
東金市:市指定文化財 大黒天像
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