千葉県夷隅郡大多喜町田丁:東長寺と殿台館跡
過日,曹洞宗・正報山東長寺(千葉県夷隅郡大多喜町田丁)を参拝した。本尊は,釈迦牟尼如来。
東長寺に関しては,圓照寺に関しては,大多喜町史編さん委員会編『大多喜町史』(平成3年)の1509頁,夷隅郡役所編『千葉縣夷隅郡誌』(大正12年,1990年復刻版)の424頁にその記載がある。
また,『大多喜町史』の249~253頁には,武田氏(上総武田氏)との関係を含め,非常に詳細な解説がある。『千葉縣夷隅郡誌』の435頁にも詳細な解説がある。
東長寺は,永正11年(1514年)に創始された寺院。長安寺の末寺。東長寺の開基は,当時における大多喜城の城主・武田信清。以後,武田氏(上総武田氏)及び正木氏の菩提寺となり,また,歴代の大多喜城主から崇敬された。
ただし,『大多喜町史』の1509頁及び『千葉縣夷隅郡誌』の424頁は,天文3年(1534年)に開基の寺院としているのだが,『千葉縣夷隅郡誌』の435頁は天文元年に開基の寺院としている。これは,誤記ではないかと思われる。
宝暦年間に野火により堂宇を焼失したが,当時の大多喜城主・松平(大河内)家によって再建された。このときに再建された堂宇は,その後朽廃したため,明治18年に取壊された。現在の本堂は,その後に新築された建物。
東町寺の所在地の地名(旧地名)は「田町字八大龍王(大多喜町田部字八大龍王)」となっているので,元は八大龍王を祀る御堂があったのかもしれない。
大多喜町にある曹洞宗寺院の本寺・末寺関係に関しては,『大多喜町史』の857頁に解説がある。
他方,東長寺の境内地は,方形であり,全体として「殿台館跡」と呼ばれる中世の城館跡遺跡の所在地となっている。
東泉寺の境内地が殿台館跡であることは,ちば情報マップ上で表示されている。
境内地の四周には土塁の痕跡のようなものが残存しており,鎌倉時代~室町時代頃の館のような印象を受ける。元は武田氏(上総武田氏)の館を兼ねていたのではなかろうか?
ただし,『大多喜町史』の289頁では,「殿台」と呼ばれる「領主の日常の住居(居館)」の遺跡の所在地は,東長寺と六所神社(千葉県夷隅郡大多喜町泉水)の間付近としているので,ちば情報マップ上の表示とは大きく異なっている。『大多喜町史』の289頁において「殿台」の所在地として示された場所付近は,人工的な大きな土壇のようなものがある場所であり,その現況は宅地となっている。ちば情報マップ上では,その場所には遺跡が存在しないことになっている。
東長寺の木造文殊菩薩坐像,木造釈迦如来坐像,上総国大多喜根古屋城主武田殿系図,大多喜根古屋城主武田信清位牌,麻織九条袈裟,金銅製茶湯器等は,大多喜町指定の有形文化財となっている(『大多喜町史』の1513~1514頁参照)。
東長寺入口付近
本堂
説明板
文化財指定の標柱
御堂
境内の様子
門柱脇にある土塁の残骸のようにも見える場所
同上
南の方から見た殿台遺跡の所在地付近
同上
(写真中央の建物のある場所付近は大畑遺跡の包蔵地)
六所神社と東長寺との間の場所付近の様子
殿台館跡遺跡の南端付近(東長寺の境内地外)には小さな塚状地形が存在している。
山裾を通る道から見上げただけなので確実なことは何も言えないのだが,古墳時代の墳丘墓または後代の塚のように見える。土塁の残骸であるようには見えない。ただし,単なる土塊かもしれず,よく分からない。
謎の塚状地形
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