千葉県夷隅郡大多喜町田丁:圓照寺

過日,臨済宗・佛日山圓照寺(千葉県夷隅郡大多喜町田丁)を参拝した。本尊は,釈迦如来。

圓照寺に関しては,大多喜町史編さん委員会編『大多喜町史』(平成3年)の1509頁,夷隅郡役所編『千葉縣夷隅郡誌』(大正12年,1990年復刻版)の427頁にその記載がある。
また,『千葉縣夷隅郡誌』の430~431頁に詳細な解説がある。
『大多喜町史』では寺号を「円照寺」としている。しかし,『千葉縣夷隅郡誌』では寺号を「圓照寺」としており,また,宗教法人としての登録名も「圓照寺」となっているので,「圓照寺」という表記が正しい。

圓照寺の境内に立てられている説明板によれば,圓照寺は,天智天皇九年(670年)に創始された非常に古い寺院であり,暦応元年(1338年)に復庵宗己によって臨済宗に改修して中興開山された寺院。大多喜藩の藩主・松平(大河内)家の位牌所だった。

圓照寺は,臨済宗妙心寺派・正法山妙心寺(京都市右京区花園妙心寺町)の末寺。このことからしても,相当に格式の高い寺院だったということが推察される。

大多喜町にある臨済宗寺院の本寺・末寺関係に関しては,『大多喜町史』の857頁に解説がある。

大多喜藩の藩主・松平(大河内)家に関しては,『大多喜町史』の568~654頁に詳細な解説がある。
大多喜藩の最後の藩主である松平正質(大河内正質)は,鳥羽・伏見の戦において旧幕府軍の総督として全軍を指揮したが敗北し,逃走した。その責任を問われ,老中の職を解かれ,大多喜で謹慎することを命ぜられたため,位牌所である圓照寺に籠った。大河内正質は,明治維新後においては,大多喜藩知事に就任し,大多喜城を破却・開鑿した。
ちなみに,『大多喜町史』の633~634頁によれば,藩主・松平(大河内)家の家臣である松平新助の墓碑が浄土宗・金澤山山王院良玄寺(千葉県夷隅郡大多喜町新丁)にあるとのこと。

圓照寺の本尊である木造釈迦如来像及び両脇侍坐像は,千葉県指定の有形文化財となっている。

圓照寺の絹本著色釈迦涅槃図,木造開山像,大多喜藩主・松平(大河内)家の歴代藩主位牌は,大多喜町指定の有形文化財となっている。

圓照寺の裏山(北西側斜面)には,川田横穴群(千葉県夷隅郡大多喜町田丁)と呼ばれる古墳時代の横穴墓群(3基)があるとされており,ちば情報マップ上でもそのように表示される。この表示は,千葉県文化財保護協会編『千葉県所在古墳詳細分布調査報告書』(平成2年3月)の172頁の記載を基礎とするものと解される。
所在地付近の斜面の現況は,かなりひどい藪状態。接近することは不可能だと判断し,見学を断念した。


IMG_9821.JPG
参道


IMG_9882.JPG
本堂正面


IMG_9881.JPG
斜め前から見た本堂


IMG_9822.JPG
説明板


『千葉縣夷隅郡誌』の431頁には,「前右方に池あり三日月池といひ,島上に辨才天を祀れる祠あり」と書かれている。

三日月池の現況は,往時の姿を想像するのが困難な状態となっているが,その場所が村正池とも呼ばれる三日月池の所在地であることを示し,また,刀匠五郎正宗とその弟子村正にまつわる伝承があることを示す説明板がたてられている。


IMG_9809.JPG
三日月池の所在地


IMG_9807.JPG
説明板



 千葉県教育委員会:木造釈迦如来像及び両脇侍坐像

 来福@参道:狼神話:円照寺(えんしょうじ)



この記事へのコメント