いすみ市岩熊:旧法興寺浄土型伽藍址(岩熊廃寺)など

過日,天台宗・医王山喜多院法興寺(千葉県いすみ市岬町岩熊)を参拝した。本尊は,薬師瑠璃光如来・阿彌陀如来。

その際,古代(白鳳時代?)に法興寺(岩熊廃寺)が創始された場所とされる遺跡も見学した。

この旧法興寺(岩熊廃寺)に関しては,「岩熊法興寺」として,岬町史編さん委員会編『岬町史』(昭和57年)の138~144頁に詳細な解説がある。この解説の中には,房総三國内において山田寺系古瓦が出土している寺院(廃寺)の一覧も含まれている。

この旧法興寺(岩熊廃寺)の遺跡は,ちば情報マップ上では「岩熊廃寺」と呼ばれる遺跡となっており,現在の法興寺の境内地の南西約300mのところに位置する水田(低地)の中にある。

この場所は,もともと法興寺が元存在した場所として伝承されてきたのだが,発掘調査の結果,中世の堂宇の基壇等が発見され,更にその下層に奈良・平安時代の寺院遺構や浄土庭園跡等が発見された。
発掘調査の結果は,千葉県教育委員会『千葉県夷隅郡岬町上総法興寺跡』(1977年)に収録されている。

境内の範囲は広大であると推定されており,その遺跡の大部分は現時点でも地下にある。その地上の現況は普通の田となっている。

例外として,かつて法興寺の阿弥陀堂が存在したと理解されている場所には法興寺の遺跡であることを示す石碑等が建立されている。この石碑のある場所の呼称は,いすみ市指定の文化財としての「旧法興寺浄土型伽藍址」となっている。
その文化財指定の理由は,「奈良時代前期の瓦などが出土」となっている。この旧法興寺跡から出土した瓦は,蘇我氏ゆかりの山田寺系の瓦であることが判明しており,そのことから,法興寺に関し,蘇我氏との関係に着目する見解が多い。

私見としては,このあたり一帯に蘇我氏の荘園があり,その荘園の中心施設として法興寺の最初の堂宇が建立されたのだと考える。


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現在の法興寺参道から見た法興寺跡遺跡所在地付近
(写真中央の幹線道路の向こう側の水田一帯)


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北東の方から見た旧法興寺阿弥陀堂所在地付近


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東の方から見た旧法興寺阿弥陀堂所在地付近


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「旧法興寺浄土型伽藍址」の石碑等


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同上
(写真奥の山の上が現在の法興寺の境内地)


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石碑


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説明板


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周辺(北側)の景観


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周辺(南側)の景観
(写真中央が参道・浄土庭園・山門の所在地付近)


旧法興寺浄土型伽藍址の近隣にある金月横穴群(金月横穴古墳群)の被葬者は,蘇我氏と関係する当地の長者とその一族の者だったのかもしれないと思う。
立教大学考古学研究会創立40周年記念誌編集委員会編『千葉県夷隅川流域調査資料集』(1999年)の18~19頁,85頁によれば,金月横穴群は,「2群・4基以上」が存在しており,その所在地は,金月Ⅰ遺跡(いすみ市岬町岩熊字金月)の上方の山の斜面となっている。千葉県文化財保護協会編『千葉県所在古墳詳細分布調査報告書』(平成2年3月)の図40に示された金月横穴群の所在地も同じ場所を指しているが,その現況に関しては,同報告書の174頁では,2号横穴以外の5基が埋没しており,2号横穴の遺存状態は良好であり,両袖・逆台形横アーチ型,長3.4m,幅3.6m,全長4.0m,奥棺台棺床(刳り抜き棺床)と記されている。
金月Ⅰ遺跡からは弥生土器・土師器(奈良・平安)・泥面子が発見されている。
ただし,金月横穴群の所在地までアクセス可能な道路がなさそうなので,金月横穴群の所在地を訪問しておらず,その横穴墓の現況を視認していない。

他方,旧法興寺浄土型伽藍址の北東に位置する現在の法興寺参道入口付近には「童謡の里」の石碑等がある。この石碑は,「里の秋」で知られる作曲家・海沼実氏を顕彰し,その妻である海沼美智子氏の実家跡地に建てられたものとのこと。

この童謡の碑の背後のコンクリートで固めた斜面には横穴墓のようなものが並んでいる。少なくとも4基以上あるように見える。
それらの横穴墓のようなものの中で右端の1基は,開口している。戦時中にここに疎開していた海沼実氏夫妻のために,元は横穴墓だったものを一部改造して防空壕として転用(二次利用)していたものではないかと考えられる。ただし,その内部の床は平坦であり,奥棺台棺床(刳り抜き棺床)が存在しないので,この右端の横穴墓のようなものは,金月横穴群の2号横穴ではない。

仮にこれらの横穴墓のようなものが本当に古代の横穴墓であるとすれば,金月横穴群と連続する大規模な横穴墓群の一部を構成する横穴墓であり,鎌倉時代~江戸時代には法興寺関連の「やくら」として二次利用されていたものである可能性があると考えた。

ただし,いすみ市の教員委員会に問合せをしていないので確実ではなく,また,関連資料等を全部調べたけれども,この場所に横穴墓群があるということを明記するものは見つけられなかった。私的な仮説に過ぎない。


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童謡の里碑所在地付近


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金中集会所


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岬町童謡の里碑


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童謡の里碑所在地背後の様子


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右端にある横穴墓のようなもの


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同上


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左側にある横穴墓奥壁部分のようなもの



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