いすみ市岬町岩熊:法興寺

過日,天台宗・医王山喜多院法興寺(千葉県いすみ市岬町岩熊)を参拝した。本尊は,薬師瑠璃光如来・阿彌陀如来。
上総国三十四薬師霊場第二十一番札所となっている。

法興寺に関しては,岬町史編さん委員会編『岬町史』(昭和57年)の1159~1160頁に解説があり,夷隅郡役所編『千葉縣夷隅郡誌』(大正12年,1990年復刻版)の423頁に記載がある。

この解説によれば,法興寺は,延暦寺の末寺であり,大同年間に伝教大師の開基により創始されたと伝えられる古い寺院。

現在の法興寺の境内地の西側に位置する水田中にある法興寺遺跡からの出土物の検討結果により,白鳳時代の創始とする見解もあり,現在ではこの見解の方が優勢なのではないかと思われる。
法興寺が白鳳時代またはそれ以前の創始の寺院であるとした場合,元は蘇我氏と関係する荘園があった場所との推定も成立し得る。
そのような古い時代(蘇我氏が倭国を支配した時代)における統治上の素地と土木技術の蓄積・伝承なしには,後代の律令制に基づく大規模な条理遺構(律令田または口分田だったと推定可能な条理遺跡)が成立することは難しかったのではないかと考えられる。そのような条理遺跡は,いすみ市岬地内に複数存在する。

天正2年(1574年),法興寺は火災に遭った。本堂等の建物はその後に建立されたもの。

法興寺の仁王門の木造金剛力士立像は,建長7年(1255年)に「平氏女」によって建立との旨が記載された棟札のある古い木彫であり,千葉県の有形文化財に指定されている。

法興寺に安置されている鋳銅孔雀宝珠文磬は,千葉県指定の有形文化財に指定されている。

法興寺に安置されている木造聖観世音菩薩立像,銅造薬師如来坐像,銅造阿弥陀如来及び脇侍菩薩立像,法興寺歴代住職位牌は,いすみ市の有形文化財に指定されている。

法興寺の大榧は,いすみ市の天然記念物に指定されている。

なお,法興寺の境内地の南東側に位置する山の斜面には「法興寺中世墳墓」と呼ばれる遺跡包蔵地があり,陶磁器等が出土している。


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参道


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地蔵尊(やくら遺跡?)


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寺号標


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供養塔


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大日如来


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やくら跡または防空壕跡?


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仁王門


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仁王門内側


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左側の金剛力士像


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右側の金剛力士像


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金剛力士像の説明板


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指定文化財の標識


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境内の様子


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本殿正面


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本殿正面の彫刻(一部)


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本殿正面の彫刻(一部)


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本殿正面の彫刻(一部)


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指定文化財の説明板


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薬師堂前の石灯籠


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薬師堂


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薬師堂の彫刻(一部)


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薬師堂の説明板


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手水


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大黒天


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鐘楼


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鐘楼の石段


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梵鐘


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法興寺の大榧


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法興寺境内の南東側にある山の様子


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西の方から見た法興寺境内地所在地付近の様子


一般に,大規模な寺院を維持・経営するためには相当の財力が必要だ。
古代~徳川時代においては,財力とは,要するに石高そのものとなる。換言すると,古代の大規模な寺院は必然的に大規模な荘園の領主でもあったと考えるべきだ。
このように大規模な寺院が潤沢な経済基盤をもつという社会構造は徳川時代末までは(特に徳川家から御朱印と石高の寄進のあった有名寺院ででは)ごく普通のことだった。神仏習合を経た後である明治時代以降においても,戦後のGHQの命令による農地解放に至るまで,旧寺領の農民を小作とする大地主として古代と実質的に変わらない潤沢な経済基盤をもつ大寺院が幾つも存在していた。

寺院や神社に限らず,館,庭園,砦などのような大規模な構造物を維持・管理するためには相当の財力を継続的に維持する必要があるので,必然的に,そのような財力の基礎となっている米などの収穫物を独占的に支配するための政治権力を獲得するようになり,簡単に言えば荘園などの領地支配が成立することになる。人間は欲望の動物なので,このような社会的な動きが発生することを避ける方法はない。

日本国の大学では歴史学と経済史とが分断されているのが普通であり,連結されている学部ではマルクス・レーニン主義の影響が強いところが少なくなので,中立・公平な立論が必ずしも多いとは言えない状況にある。
しかし,それでもなお,素朴な国庫理論レベルの経済学を基礎として歴史上の出来事を観察・検討すべきだというのが持論だ。高性能コンピュータやAIシステムを駆使して微分計算のようなことを繰り返す数値経済学は,企業経営や投資の分野では重要かもしれないが,もともとおおざっぱで断片的な史料しか残されていない古代史という研究分野においては,必要性がないし有用性もない。



 千葉県教育委員会:木造金剛力士立像

 千葉県教育委員会:鋳銅孔雀宝珠文磬

 閑報-El Campo:蘇我氏の名と重なる岩熊廃寺



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