いすみ市万木:万喜城跡(万木城跡)(その2)
過日,万喜城跡(万木城跡)(千葉県いすみ市万木)を訪問した。
万喜城(万木城)に関しては,夷隅町史編さん委員会編『夷隅町史 通史編』(平成16年)の220~228頁に解説がある。なお,同書には,万喜城跡縄張図が添付されている。同図は,万喜城の最も精密な図面だと評価できる。
また,夷隅郡役所編『千葉縣夷隅郡誌』(大正12年,1990年復刻版)の330~332頁には,「萬木城址」として,万喜城跡(万木城跡)の解説がある。
現在,万喜城(万木城)の主要部分は,万木城跡公園として整備され,見学可能となっており,城の中心部にある櫓台のような場所には天守閣のような形をした現在の展望台が設置されている。この展望台からの眺めはすこぶる素晴らしい。積極的に推奨できる。
万喜城(万木城)の主郭だったと考えられる場所には土俵があるが,これは現代のものだろう。
万喜城(万木城)の主郭だったと考えられる場所の南東側には少し高くなった台状の郭があり,倉庫などがあった場所だと考えらている。主郭たったと考えられる場所の東端付近には下の方に降りる細道があり,小鳥の森という場所を経て曹洞宗・機岳山海雄寺(千葉県いすみ市万木)の方に至ることができるという趣旨の掲示もあるのだが,私が訪問したときは,ロープが張られており,通行不可となっていた。また,主郭だったと考えられる場所の東には天台宗・瑠璃山藥王院三光寺(千葉県いすみ市万木)の境内地があり,その境内地の背後の山の尾根には妙見郭と呼ばれる要害があるようなのだが,そこまで至る経路もかなりの危険を伴うらしい。
下記のWebサイトにある余湖氏の訪問記を含め,その場所を訪問した方のブログやホームページ等を拝見すると,普通の人が単独で訪問することはかなり危険な場所だと推定される。ヤマビル,スズメバチ,マムシ等も出そうな場所だ。この道を通行禁止とすることは,正しいことだと考えられる。
万木城跡公園に登る道から見た展望台
遊具のある広場
展望台
展望台前にある小野次郎右衛門忠明の説明板
展望台から見える景色(今関~深谷方面)
展望台から見える景色(岬町方面)
展望台から見た主郭と思われる場所
主郭の様子
主郭の東側にある少し高くなっている郭跡
小鳥の森の方を示す標識
観察できる鳥類の説明板
城山公園整備記念碑
主郭の西側を通る遊歩道
西側斜面に残る城の構造物の一部
主郭の西側斜面にある武者走りのような場所
東の方から見た万喜城(万木城)のある山(一部)
ちなみに,土岐氏一族の墓所の墓所の奥に灌漑用溜池(堰)があり,小鳥の森を経由して万喜城(万木城)の主郭の主郭付近に至る遊歩道の海雄寺側の出口と思われる場所がある。土岐氏一族の墓所を訪問した際,そのあたりまで行って現況を観察したが,かなり幅の狭い山道のように見えたので,そこから先に進むことは断念した。
なお,『夷隅町史 通史編』に添付されている万喜城跡縄張図によれば,灌漑用溜池(堰)の堤防西側付近にある土塁が万喜城(万木城)の尾根部分を連絡する土塁の南端とされている。
往時においては,土塁を切断している堀切の間に木橋や吊橋がかけられていたのではないかと思われ,城兵は,土塁の上を歩き,木橋や吊橋をわたって移動したのだろうと推測される。実際に攻城戦が開始されると,それらの木橋や吊橋は破壊され,土塁を進路として攻略することを不可能または困難とするようになっていたのだろう。
したがって,小鳥の森付近を通って万喜城(万木城)の主郭と海雄寺付近とを連絡することになっている山道(遊歩道)は,築城当時には存在せず,道のない急峻な斜面になっていたと考えられる。
土岐氏一族の墓所の奥にある溜池(堰)
万喜城(万木城)の尾根部分を連絡する土塁の南端部分
小鳥の森方面に続く山道の出口付近?
余湖:万木城(夷隅郡夷隅町万喜字城山)
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