いすみ市国府台:国吉神社
過日,国吉神社(千葉県いすみ市国府台)を参拝した。祭神は,健御名方命ほか二十七柱の神。
国吉神社は,明治40年,旧国吉町に鎮座する27の神社が関係氏子全員の合意により旧諏訪神社(国吉町本町苅谷字幸野)に合併となり,旧諏訪神社が国吉神社と改称して創始された新しい神社。
このことに関しては,夷隅町史編さん委員会編『夷隅町史 通史編』(平成16年)の645~646頁,1019頁に説明がある。
その根拠となる史料として,夷隅町史編さん委員会編『夷隅町史 資料集』(平成14年)の1144~1146頁に収録されている史料「神社合併願」(明治40年)及び同書1146~1147頁に収録されている資料「国吉町各神社合社契約書」(明治40年)がある。
神社合併に伴う諸手続きは,旧国吉町役場によって行われた。
夷隅郡役所編『千葉縣夷隅郡誌』(大正12年,1990年復刻版)の391頁には国吉神社の記載があり,祭神を「大山咋命外卅七柱」,勧請年月を「明治四十年五月廿五日」,所在地を「國吉町、苅谷、幸野」としている。祭神の数の記載は誤記と思われる。
旧諏訪神社(国吉町本町苅谷字幸野)の由緒等の詳細は全く不明だが,社名及び祭神(健御名方命)から推測して,上総武田氏と関係する古い神社だったのではないかと想像される。
境内に立てられている境内社(出雲大社)の説明板によれば,遅くとも幕末の長州征伐の頃には存在していた神社であることが分る。
旧諏訪神社の由緒等に関しては明治16年~明治17年に編纂された『苅谷村誌』及び『国府台村誌』に詳細な記載が収録されていた可能性が高いが,夷隅町史編さん委員会編『夷隅町史資料編別巻 夷隅町の旧村誌 明治十六年・十七年』(平成9年)の3~5頁の解説によると,夷隅町史編さん委員会による旧村誌発見のための努力にも拘わらず,『苅谷村誌』及び『国府台村誌』は発見されていない。現存していないのだろうと推測される。
この神社合併により,旧諏訪神社に合併された神社は,(諏訪神社を除き)以下のとおり。これらの神社の中には,境内社として立派に小祠が祀られている神社もあるが,どこにどのようにして祀られているのかよく分からない神社もある。
村社 日吉神社(国吉町深谷字宮ノ谷)
末社 浅間神社(国吉町深谷字浅間山)
末社 姥神社(国吉町深谷字姥神)
末社 八坂神社(国吉町深谷字原)
村社 天御中主神社(国吉町万木字城山) 同社内・八坂神社
末社 熊野神社(国吉町万木字熊野後)
村社 滝口神社(国吉町弥正字明神台) 同社内・月読神社
末社 八坂神社(国吉町弥正字八坂台)
末社 八坂神社(国吉町苅谷字獅子ヶ谷)
末社 大山神社(国吉町苅谷字西ノ谷)
末社 日吉神社(国吉町苅谷字山王前) 同社内・三峯神社
村社 八幡神社(国吉町楽町字八幡森)
村社 日吉神社(国吉町楽町字東側上)
村社 五柱神社(国吉町国府台字細廓) 同社内・水神社及び稲荷社
末社 浅間神社(国吉町国府台字小沢又)
村社 伊豆母神社(国吉町今関字塚根)
末社 八幡神社(国吉町今関字八幡前)
村社 八所神社(国吉町島)
国吉神社の境内社として立派な社殿のある出雲大社(大国主大神)が鎮座している。
この出雲大社は,幕末の頃から渡辺嘉兵衛という人の自宅敷地内に(大社教の仮神殿として)祀られていたものだが,明治24年に国吉神社の境内地に境内社としての苅谷大社教社殿が建立され,その社殿で祀られることになって今日に至っている。
その間の経緯に関しては,『夷隅町史 通史編』の644~645頁に解説がある。
なお,国吉神社の境内地を含め,近隣一帯には弥生時代~古墳時代~奈良・平安時代の遺跡が全く存在しない。
国吉神社入口付近
鳥居
参道
拝殿前の鳥居
由緒書
拝殿
本殿
左側の狛犬
右側の狛犬
境内社(祓社)
境内社(三峯社)
境内社(市姫弁天社)
境内社(白山姫神社)
境内社(天王社)
境内社(道祖神社)・青面金剛明王
社務所
手水
忠魂碑
境内社(出雲大社)の鳥居
境内社(出雲大社)
境内社(出雲日御崎神社)
境内社(金毘羅社)
説明板
唯神碑
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