いすみ市国府台:五柱神社と国府台城跡(その2)
過日,五柱神社(千葉県いすみ市国府台)を参拝した。祭神は,地元の産土神とのこと。
国府台城に関しては,夷隅町史編さん委員会編『夷隅町史 通史編』(平成16年)の218~219頁に詳細な解説がある。同書では,国府台城の性格に関し,万喜城(万木城)の支城としている。なお,同書には,国府台城跡縄張図が添付されている。同図は,国府台城の最も精密な図面だと評価できる。
五柱神社の境内地は,土岐氏(三階氏)の国府台城一郭に相当する場所であり,元は城郭を構成する構造物が存在した。天正18年(1590年)に徳川勢に攻められて万喜城(万木城)が落城し,国府台城も焼き払われ,廃城となった。
なお,夷隅町史編さん委員会編『夷隅町史資料編別巻 夷隅町の旧村誌 明治十六年・十七年』(平成9年)の59頁には,「土岐氏部下に五将と称する在り」,「国府山城主[城墟は当郡国府台村に在り]上階図書之助文忠[知行高三千町]」と記されている。この記載から,かつて,国府山城と呼ばれていた時代が存在したことを知ることができる。
国府台城は,南北に細長い島状の台地の上にあり,その台地の西側~北側は夷隅川によって浸食された急崖となっている。ただし,往時においても夷隅川の流路が現在と完全に同じだったのかどうかは不明。
台地の北側3分の2はやや高くなっており,この場所を一の郭とし,国府台城の主要な建物があった場所だと考える見解が多い。現在では五柱神社の境内地となっている。
台地の南側3分の1はやや低くなっており,この場所を二の郭とする見解が多い。
台地の北東側には低い棚状の土地があり,現況は宅地になっているが,この場所を腰郭とする見解が多い。
五柱神社の参道となっている場所付近(東側中央付近)には土塁と堀切の痕跡のようなものがある。ただし,往時のままであるのか,後の時代に改変されたものであるのかは,よく分からない。
参道脇にある土塁と堀切跡のような地形部分
同上
同上
同上
一郭の南西側部分の様子
一郭の西側急崖
南の方から見た一郭北側部分
一郭北端部
北の方から見た一郭北側部分
北の方から見た一郭中心部付近の様子
北の方から見た二郭
参道下付近から見える景色
(写真左手奥は万喜城跡(万木城跡)のある山)
(写真右手の台地は伊南台遺跡の所在地付近)
東の方から見た国府台城跡所在地付近の様子
余湖:国府台城(いすみ市国府台字細廓)
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