館山市洲崎:洲崎神社
2025年5月7日のことだが,源頼朝ゆかりの神社として知られる洲崎神社(千葉県館山市須崎)を参拝した。祭神は,天比理刀咩命。天太玉命・天富命を合祀している。
洲崎神社は,式内社・安房國安房郡后神天比理乃咩命神社大元名洲神に比定されている。
また,洲崎神社は,安房国一宮とされているが,安房国(現在の千葉県)では安房神社も安房国一宮とされている。安房神社は,式内社・安房國安房郡安房坐神社名神大月次新嘗に比定されている。
洲崎神社に関しては,吉田東伍『増補大日本地名辞書 第六巻 坂東』(冨山房,初版明治36年・増補版昭和45年)の567頁,安房郡教育會編『安房郡誌』(大正15年・復刻版昭和47年)の751~753頁に詳細な解説がある。
かつて,石橋山の戦いに敗れた源頼朝は,安房国に逃れ,源氏の再興を誓い,その誓いのとおり平氏を滅ぼしたのだという。
今回の旅においては,当初は洲崎神社を参拝する予定ではなかったのだが,その前をとおりかかった際,これはぜひとも参拝しないわけにはいかないと直感的に判断し,予定を一部変更して参拝したのだった。
その関係で,十分な時間がなく,海岸に近いところにある洲崎神社の元鎮座場所と鳥居までは行かなかった。また,洲崎神社に隣接する養老寺に関しては,今回は訪問を割愛し,次回に改めて訪問して参拝することにした。
長い石段は厄払坂と呼ばれている。かなり息切れしてしまったけれども,どうにかこうにか石段を登り,参拝することができた。社殿のある場所はとても高いところであり,そこからの眺望は素晴らしい。
洲崎神社の本殿は,館山市の文化財に指定されている。
洲崎神社が鎮座する御手洗山の自然林は,千葉県指定の天然記念物となっている。
原初の形態において,洲崎神社の鎮座地である御手洗山全体が信仰の対象だったとする見解があり,私もそのとおりだと思う。これは,平地において古代の神社の中で,原初の形態としては巨大な墳丘墓それ自体が神社だったと推定されるところが多数あるのと同じ。
鳥居
社号標
洲崎神社の指定文化財の説明板
洲崎踊りの説明板
随神門と石段
手水
洲崎神社の由緒書
厄払坂の標柱
石段(厄払坂)の下から振り返り鳥居越しに見える太平洋
沖を航行する貨物船
石段(厄払坂)を登ったところから見た太平洋
拝殿
拝殿の扁額
本殿
社殿側面
境内社(金比羅神社)
長宮(大物主命・建速須佐之男命・大山津見名・豊玉彦命)
境内社
境内社(稲荷神社)
同上
同上
遥拝所付近から見える伊豆大島
社務所
館山市:養老寺
館山市:【市指定有形文化財】洲崎神社本殿
館山市:【市指定有形民俗文化財】洲崎神社神体髪
館山市:洲崎神社例祭
千葉県教育委員会:洲崎のミノコオドリ
文化遺産オンライン:洲崎踊
千葉県教育委員会:洲崎神社自然林
玄松子:洲崎神社
玄松子:安房神社
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