筑西市甲(旧下館市金井町):薬師堂

過日,薬師堂(茨城県筑西市甲)を参拝した。本尊は,薬師如来。

この薬師堂は,境内地の旧地名が金井町であることから「金井町薬師堂」と呼ばれることがある。筑西市甲(旧薬師町)には薬師堂(旧下館市薬師町・鳳来山慶林寺跡)及び薬師堂(旧下館市西町)もあるため,それらの薬師堂と識別するための呼称。

この薬師堂~三嶺神社の鎮座地付近を含む一帯は,元は大徳寺(廃寺)の境内地だった。薬師堂は,下館城主・水谷勝氏によって文明10年(1478年)に建立され,元禄4年(1691年)に再建された建物。筑西市の有形文化財に指定されている。

薬師堂壁面や軒には龍や十二支などの彫刻があしらわれており,とても興味深い。

薬師堂のすぐ近くにケヤキの古樹(推定樹齢500年)がある。元は2本あったけれども現在では1本だけになったとのこと。大徳寺があった頃に大徳寺の参道の両脇に植えられた樹木だと考えられているようだ。
このケヤキは,筑西市指定の文化財(天然記念物)となっている。

更に,この旧大徳寺境内地と推定されている場所には,明治時代には,富松正安(1849年~1886年)によって自由党員の研修道場として有為館が建築された。しかし,富松正安が加波山事件に加担したことにより死刑となった後,有為館も廃れた。
現在では,比較的詳細な説明板があるだけであり,建物としては何もなくなってしまっている。現在では金井町会館という集会所がある場所付近が有為館のあった場所なのではないかと想像されるけれども,よく分からない。
曹洞宗・祥雲山妙西寺(茨城県筑西市乙)には,加波山事件の刑死者の墓所がある。


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薬師堂正面


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斜め前から見た薬師堂


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彫刻の一部


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同上


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同上


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説明板


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寛永三年卯月五日施主大徳寺碑


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薬師堂大欅


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有為館の説明板


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金井町会館



 筑西市:薬師堂本堂(やくしどうほんどう)

 筑西市:薬師堂大欅(やくしどうおおけやき)



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