筑西市丙:極楽寺

過日,天台宗・無量寿山往生院極楽寺(茨城県筑西市丙)を参拝した。本尊は,阿弥陀如来。

極楽寺に関しては,塙泉嶺『真壁郡郷土史』(大正13年・復刻版昭和54年)の118頁にその記載がある。
同書の記載によれば,極楽寺は,應仁元年(1467年)に運應和尚によって開山された古い寺院。元は下館の西町(現在の筑西市西町)にあったが,寛永4年(1627年)に下館の金井町(現在の筑西市丙)に移った。
その後衰退したことがあったらしく,天明2年(1782年)に圓海和尚が再興したけれども,明治35年9月,暴風雨のために伽藍が倒壊した。明治34年,総本山の特命により再建の努力が開始され,総本山から本尊である阿弥陀如来を奉戴し,明治42年に再建工事が開始された後,明治44年に本堂などが再建され,大正5年に全落成を遂げた。
ただし,『真壁郡郷土史』は,「殿堂輪奐の美を極めすと雖も建築の壮大にして荘厳なる昔日の比にあらず」と評しているので,明治35年の暴風雨により倒壊する前の堂宇は極めて立派なものだったということが想像される。
極楽寺の鐘楼堂には「朝覚醒迷夢夕開悟佛道」と書かれた扁額が掲げられており,開基の日付が明治44年8月となっているので,明治44年の再建の事跡を示すものなのだろう。

境内には,不動堂や十王堂などの堂宇が並んでいる。

山門脇には「下館成田山」という石標が立てられているが,これは,極楽寺の境内にある不動堂のことを指す。
『真壁郡郷土史』の118頁にも極楽寺の境内にある不動尊(不動明王)は,成田不動を勧請したものである旨が記載されている。また,同書119頁にも重ねて「成田山」の解説があり,「金井町極楽寺境内に在り明治三十三年三月堂宇建築の目的を以て副徳講を組織し・・・四十年五月二十八日落成す、現住職三田村智俊師の開基なり」と記されている。


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山門


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山門内側の様子


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本堂


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本堂前にある真壁郡大悲教會碑


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宗祖傳教大師報恩碑


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御堂


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不動堂


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不動堂の彫刻(一部)


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同上


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位牌堂?


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十王堂


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子安地蔵尊


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鐘楼


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梵鐘


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鐘楼堂の扁額


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手水


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境内の様子



 まほらふく風に乗って:下館成田山 極楽寺



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