野田市野田:愛宕神社
先日,愛宕神社(千葉県野田市野田)を参拝した。祭神は,加具土命。
愛宕神社は,延長元年(923年)に山城国(現在の京都)の愛宕神社から分霊を勧請して創始されたと伝えられている神社。神仏習合の時代には,真言宗豊山派・愛宕山西光院(千葉県野田市野田)が別当寺となっていた。
現在の社殿は,文政7年(1824年)に建設(再建)されたもので,千葉県指定の有形文化財となっている。本殿内の壁画には嘉永6年(1853年)の落款がある。
愛宕神社に奉納される「野田のつく舞」は,千葉県指定の無形民俗文化財となっている。
野田市郷土博物館・市民会館「建立100年 愛宕神社の大鳥居」によれば,現在の大鳥居は,大正11年に建立されたものであり,それ以前は少し東にずれた位置にあったようだ。軍用道路を拡張する工事と愛宕神社の境内地を拡張する工事のため,現在では愛宕神社の境内地の一部となっている土地上にあった尾張屋旅館の建物が取壊され,新たに交差点の角になった場所に大鳥居に建てられることになったとのこと。
愛宕神社の本殿背後には富士塚のような小さな塚がある。この塚の所在地は,元は尾張屋の建物があった場所なので,大正11年頃以降に造営された塚だと思われる。この塚の上には三嶺神社,稲荷社,松尾大神等が境内社として祀られている。
愛宕神社の背後に位置する勝軍地蔵尊堂は,明治時代の神仏分離に伴い新築されたものとのことなので,江戸時代またはそれ以前から存在したものではない。
愛宕神社の大鳥居
愛宕神社の拝殿
左側の狛犬
右側の狛犬
本殿
背後の方から見た本殿
愛宕神社の説明板
愛宕神社の本殿と彫刻の説明板
神楽殿
旧社務所と神橋
境内社(大鳥神社の鳥居)
境内社(大鳥神社)
塚の正面
塚の側面
境内社(三嶺神社)
境内社(稲荷神社)
境内社(松尾大神)
石灯籠
石灯籠
手水
裏参道の鳥居
愛宕神社境内の桜
神仏習合に関しては,反対の意見もある。
しかし,日本国憲法に定める思想信条の自由及び信教の自由は,最大限に尊重されなければならない。異なる立場・見解であっても,相互に尊重すべきである。
そのように相互に尊重できなくなると,殺し合いによる解決しか残されていない状況の下に置かれることになる。隣近所が殺し合うような状況は,日本国においても過去の歴史の中には存在したはずなのだが,無論,避けなければならない。
お互いに尊重することによって,そのような悲惨な事態の発生を容易に避けることができる。
このように主張しても,凝り固まっている人には通用しないかもしれない。何らかの経済的利益や利権のようなものと結びついている人々では更にそうなる可能性がある。
しかし,時代の変化は徐々に進行している。
そのような変化の中で共存できる唯一の考え方は,「相互に尊重する」ということに尽きる。
千葉県教育委員会:愛宕神社本殿
千葉県教育委員会:野田のつく舞
野田市郷土博物館・市民会館:建立100年 愛宕神社の大鳥居
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