伊勢崎市華蔵寺町:熊野宮と御嶽山古墳
先日,熊野宮(群馬県伊勢崎市華蔵寺町)を参拝した。
熊野宮は,伊勢崎町6号古墳または稲荷山古墳とも呼ばれる御嶽山古墳(全長38.4m・高さ4mの円墳)の南側に鎮座している。
熊野宮の建物は社務所と社殿覆殿を兼ねたような独特の様式のものであり,この建物の中に熊野宮の本殿と思われる小神殿が鎮座しており,この建物の正面の小窓のようなところから賽銭を入れ,その小神殿を拝することができるようになっている。この小窓のようなものがある場所が熊野宮の礼拝所だと判断した。
熊野宮なので,祭神は伊弉諾神・伊弉冉神だろうと推察されるのだが,詳細は不詳。由緒等も不詳。
地理的条件等から考えると,もともと天台宗・丘林山浄土院華藏寺の境内にあった御宮であり,華蔵寺が別当寺だったのだろう。
この熊野宮の建物の右手(東側)に鳥居と石段があり,御嶽山古墳の墳丘に登ることができるようになっている。
古墳の墳頂は平坦であり,様々な神社の石碑が建立されている。その中で中心となるものが御嶽山神社であることから,この古墳には御嶽山古墳との呼称があるのだろう。
古墳の墳頂には熊野宮の石祠が祀られている。奥宮ではないかと思われる。
北西の方から見た御嶽山古墳
南西の方から見た御嶽山古墳
熊野宮の建物
斜め前から見た熊野宮の建物
鳥居と石段
石段
石段脇の石碑
同上
石段上部付近の様子
石段脇の不動明王
墳頂の様子
熊野宮の石祠・巌戸大権現・阿留摩耶天狗
御嶽山蔵王大権現・三笠山刀利天・八海山提頭羅神王
日野大権現
宜波羅山大権現・大江大権現・摩利支天・宜波羅山大権現
御岳山古墳は,伊勢崎市編『伊勢崎市史 通史編1 原始古代中世』(昭和62年)の中には収録されていない(同書168~180頁の一覧表参照)。
しかし,群馬県教育委員会編『群馬県古墳総覧2017』に附属するCDのデータによれば,伊勢崎市教育委員会『伊勢崎市遺跡分布地図』(2012)に収録されている古墳と同一の古墳である御嶽山古墳とされている。
群馬縣編『上毛古墳総覧』(昭和13年・復刻版平成30年)の410頁には「伊勢崎町第六號 稲荷山」と記載があり,所在地の欄には「華蔵寺四一番地」とあり,出土品の欄には「曲玉」と「刀」の記載があり,備考欄には「石槨存ス」との記載がある。
『伊勢崎市史 通史編1 原始古代中世』には記載がないので,同書刊行当時には古墳として認識されていなかったのかもしれないけれども,同書181頁に華蔵寺古墳の陪塚とされる小古墳の記載があり,そこには「小石槨と主体部とする小古墳」と記載されており,同書附属の「伊勢崎市所在の古墳分布図」及び同書169頁の「華蔵寺1号古墳」の記載から推測すると,御嶽山古墳(=稲荷山古墳,伊勢崎町6号古墳)と華蔵寺1号古墳とが同一の古墳を指すものとの混同または錯覚により,結果的に,『伊勢崎市史 通史編1 原始古代中世』には御嶽山古墳(=稲荷山古墳,伊勢崎町6号古墳)が収録されないことになってしまったのだろうとも考えられる。
ちなみに,『伊勢崎市史 通史編1 原始古代中世』の169頁の「華蔵寺1号古墳」の記載は,群馬大学史学研究室(松村一昭)により昭和31年6月26日に実施された調査結果を基礎としている。
また,『群馬県古墳総覧2017』の記載によれば,「華蔵寺1号古墳」は,削平されており,現存していないようだ。
神社ぐだぐだ参拝録:熊野宮(華蔵寺町)
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