前橋市河原浜町:大胡城跡(その1)

過日,大胡城跡(群馬県前橋市河原浜町)を訪問した。

大胡城跡は,群馬県指定の史跡となっている。

大胡城は,藤原秀郷の子孫とされ,遅くとも鎌倉時代には大胡城の一部を築城していた可能性が高い。

室町時代~戦国時代には様々な武将によって数多くの戦闘が繰り広げられた地であり,その領主に変遷がある。現在の城は,江戸時代に領主となった牧野氏が大規模に改修した後のものだろうと推定する見解が多い。

大胡城は,南北に長い長方形の郭を連ね,郭と郭の間を大きな堀で区切った構造になっている。最北端に位置する近戸郭は,現在では大胡神社の鎮座地となっている。大胡神社に関しては,既に別のブログ記事を書いた。

大胡城の南側に位置する南郭~三の丸跡付近は市街化しており,前橋市大胡支所(群馬県前橋市堀越町),前橋市立大胡中学校(群馬県前橋市堀越町),大胡シャンテマルエホール(群馬県前橋市大胡町)の敷地もそれらの城跡部分の中に含まれている。

大胡城跡の西側に位置する浄土宗鎮西派・無量山月照院養林寺(群馬県前橋市堀越町)の境内地は,元は大胡氏の館跡だったとされている。また,養林寺には牧野氏の墓所がある。養林寺に関しては,既に別の記事を書いた。

当日は,大胡シャンテマルエホールの事務室で大胡シャンテマルエホールの駐車場にクルマを停めておくことの許可を得た上で,その駐車場にクルマを停め,そこから先は徒歩で往復して大胡城跡を見学した。大胡シャンテマルエホールの担当者の方の対応は,とても親切だった。

なお,本丸跡の南東側にあるトンネルを通って二の丸付近に登ると平坦地になっている。私が訪問した時にはその場所に駐車しているクルマがあったが,適法行為なのか違法行為なのかは,(明示の駐車禁止標識が見当たらなかったのだが,朽廃滅失したのかもしれず)よく分からなかった。

このトンネルは,史跡公園として整備された際に新たに構築されたものであり,元の虎口等とは異なる構造物らしい。そのため,トンネルの西側にある切通しのような舗装道路部分も往時とはかなり異なると考えられる。

本丸には稲荷神社が祀られている。参拝した。

本丸の東側部分は急崖となっているのだが,ここからの眺望がすこぶる素晴らしい。一度は訪問すべき城跡ではないかと思う。


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前橋市大胡支所


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前橋市大胡支所にある
「法然上人からの御返書を読む大胡太郎実秀」の図(複製)


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前橋市大胡支所にある大胡氏顕彰碑


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二の丸跡と三の丸跡との間にある堀跡


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前橋市立大胡中学校敷地の東側を通る水路(堀跡?)


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大胡城跡への入口(トンネル付近の様子)
(写真手前は根小屋)
(写真右手上は本丸跡)
(写真左手上は桝形跡付近)


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トンネル入口前付近から見上げた本丸跡


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トンネル


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トンネルを抜けて西側続く舗装道路


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舗装道路から本丸に登る石段


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石段上部の様子


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南の方から見た本丸中心部付近の様子


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稲荷神社


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稲荷神社の鎮座地付近から見た本丸南側部分


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西の方から見た本丸東側部分の様子


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本丸北東端付近


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南の方から見た本丸東側部分


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赤城山


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東の方から見た本丸中心部分付近


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段状の部分と慰霊塔など


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本丸北東端付近にある土塁跡の様子


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本丸北側の土塁跡


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同上


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本丸と北郭の間にある堀跡


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歌碑


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記念碑


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本丸南西側の土塁跡内側


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同上


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東の方から見た本丸と二の丸との間にある虎口?


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土塁跡に残る石材


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西の方から見た本丸と二の丸との間にある虎口?


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本丸の方から見下ろした土橋


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本丸と二の丸との間の空堀


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同上


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同上


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南の方から見た本丸南西隅付近の土塁外側


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説明板


大胡氏及び山上氏は,山上碑(高崎市山名町字山神谷)の中に名が出てくる人々の子孫だろうと想像され,また,鎌倉時代~南北朝時代~戦国時代の山名氏とも親族関係のある一族だったのではないかと想像される。
宝塔山古墳(群馬県前橋市総社町)のような前橋市総社にある古墳群にある大きな古墳の被葬者は,その祖先だったのではなかろうか?

ちなみに,「大胡」は「たご」または「たこ」とも読み得る。多胡碑多胡羊太夫にも通じるところがある。「多胡」は「おおご」または「おおこ」とも読み得る。
仮に表面上はそのように読ませない場合であっても,それは一族温存のための危機管理策の一種であり,いわば偽装の一種であり得る。



 前橋市:大胡の文化財を訪ねて

 余湖:大胡城(大胡町川原浜字根古屋)



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