銚子市馬場町:銚港神社と金刀比羅宮など
過日,真言宗・飯沼山圓福寺(千葉県銚子市馬場町)の観音堂に隣接する銚港神社と金刀比羅宮を参拝した。
銚港神社に関しては,千葉縣海上郡教育會編『千葉縣海上郡誌』(大正6年・復刻版昭和60年)の955~957頁,篠崎四郎編『銚子市史』(昭和56年)の707頁に詳細な解説がある。
銚港神社のホームページによれば,その祭神は,闇淤加美神。明治42年に愛宕神社(祭神・火遇突智命)を合祀した。
銚港神社の祭神に関し,『千葉縣海上郡誌』の945頁では,勧請年月日不詳の闇龗神を祭神としており,また,創始時期に関し,同書の955~956頁は,応永2年(1395年)とし,往時は「龍蔵権現」と称したが,明治2年に銚港神社と改称したとしている。他方,『銚子市史』の707頁では,闇龗神を祭神とし,相殿に級津彦神・級津姫神としている。
「闇龗神」と「闇淤加美神」は,同一神の別表記。龍神を指すと理解されている。
なお,『銚子市史』の707頁では,円福寺本堂に龍蔵権現時代の御神体として秘蔵されている「緑泥片岩の石棒で石器時代の遺物」に触れ,銚港神社においても,元はそのような男根を象った石器を崇拝したものとの推定を述べている。男根を象った石器は,石器時代ではなく縄文時代~弥生時代のものと思われるので誤記の一種ではないかと考えられるが,古墳時代~奈良・平安時代だけではなく江戸時代~現代に至るまで関東地方~東北地方の各所において同様の(石棒や木彫の男根を崇敬し,子孫の繁栄を祈願する金精様等の)信仰が広範に存在しているので,精密な考古学調査を経た上でないと,その石棒なるものの時代を考証することができない。
現在の銚子市に相当する銚子領は,享保2年(1717年)に高崎藩の領地となったので,高崎藩の領地になった時期以降においては,高崎藩の保護を受けた神社なのだろうと推定される。それ以前の状況についてはよく分からないのだが,『銚子市史』の707頁は,「応永二年の創建と伝える」と記している。
銚港神社には,境内社として金刀比羅宮がある。金刀比羅宮の祭神は,大物主命。
更に,金刀比羅宮のすぐ近くに,荼枳尼天社がある。
境内には公孫樹の巨木がある。
鳥居
鳥居脇の大公孫樹
参道
拝殿
本殿
左側の狛犬(鳥居近く)
右側の狛犬(鳥居近く)
左側の狛犬(拝殿前)
右側の狛犬(拝殿前)
天照皇大神
手水
境内社(金刀比羅宮)の鳥居
境内社(金刀比羅宮)の社殿
荼枳尼天社
銚港神社
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