佐倉市馬渡:下総まわたし宿百観音と馬渡坊山台古墳群

過日,下総まわたし宿百観音(千葉県佐倉市馬渡)を参拝した。

下総まわたし宿百観音は,八坂神社(千葉県佐倉市馬渡)の裏手(南西側)に位置する山の尾根上にあり,出羽三山百観音霊場の社と大日堂がある。この場所は,平成になってから地元有志の尽力により復元・整備され,現在のようなかたちとなった。

八坂神社の参道には出羽三山の参拝記念碑等が並んでいる。それらの記念碑が百観音霊場と関係するものであることが明らかであり,その意味で,八坂神社は,神仏習合のまま現代に至っていると見ることもできる。
神仏習合のままであると仮定した場合,大日堂は,八坂神社の奥の院または境内社として理解することも可能ではなかろうか?

この大日堂の基壇部は,馬渡坊山台古墳群の1号墳と呼ばれる直径22.5m・高さ3.6mの円墳。この円墳の墳頂に大日如来が建立されている。合掌した上で拝見した。

馬渡坊山台古墳群の2号墳は,1号墳の南東側に位置する林の中にあり,直径7.8m・高さ0.9mの円墳とされている。危険なので,2号墳の所在地には近寄らなかった(趣味の案件のブログ記事参照),そのため,2号墳が現存するかどうかは確認していない。

他方,千葉県文化財保護協会編『千葉県所在古墳詳細分布調査報告書』(平成2年3月)の110頁では「円墳2(15~23m)」と記載されている。
また,ちば情報マップ上では,馬渡坊山台古墳群の1号墳だけが存在していることになっており,その形状・規模は「円墳(15×h4m)」とされている。

一体どれの文書の記載が最も正しいのかよく分からない。

確証はないが,(あくまでも素人の推測としては)百観音霊場の社の基壇部(一辺10m前後の方墳状)が元は径15mの円墳だった可能性があるとの仮説を一応たてることが可能だと考えた。

千葉縣印旛郡役所編『千葉縣印旛郡誌』(大正2年)の復刻版である『千葉県印旛郡誌 前篇』(臨川書店,昭和60年)の422頁によれば,旧旭村馬渡区字坊山台には間口三間×奥行三間の真言宗の薬師堂(本尊・薬師如来)が建立されていたとのことなので,その跡地が現在の百観音霊場の社なのかもしれないとも考えられる。

いずれにしても,仮に百観音霊場の社の基壇部も古墳の残存物であるとすれば,馬渡坊山台古墳群は,3基の古墳で構成される古墳群だったことになる。


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下総まわたし宿百観音の入口付近


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標柱


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石段


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庚申塔(青面金剛明王)・地蔵尊


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参道


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参道(続き)


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出羽三山百観音霊場社


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社の基壇部


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同上


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出羽三山の供養塔


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下総まわたし宿百観音の説明板


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西国三十三箇所霊場の説明板


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千手観世音菩薩


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大日堂(馬渡坊山台1号墳)に向かう参道


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参道続き


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大日堂(馬渡坊山台1号墳)


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大日如来


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墳丘上から見下ろした石段


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墳丘東側の斜面(左手奥が2号墳?)


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百観音霊場復元整備の沿革碑



 趣味の案件:佐倉市馬渡坊山台古墳群



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