常総市本石下:八幡神社と石毛城跡

過日,八幡神社(茨城県常総市本石下)を参拝した。祭神は,誉田別命(応神天皇)。
拝殿には「八幡神社」の扁額と並んで「八坂神社」の扁額が掲げられているので,八坂神社(素戔嗚尊)を合祀していると考えられる。

八幡神社の境内地は石毛城跡の一部であるとされており,境内には非常に立派な「史跡石毛城跡碑」が立てられているし,土塁跡とされている場所もある。
ただし,石下町史編さん委員会編『石下町史』(昭和63年)の277~279頁にある石毛城(本石毛城)の解説によれば,根拠となっている御城絵図が現在では所在不明になっているとのこと。
無論,八幡神社の境内地は石毛城の残存部分のごく一部に過ぎず,往時にはもっと広い城だったと考えられる。

『石下町史』の319~320頁によれば,石毛城は,天文年間に豊田治親の弟である豊田政重(石毛政重)が拠点とした城だったが,多賀谷氏によって滅ぼされ,「多賀谷政経の叔父経明の子の経光が拠点としたが,逆心のため,多賀谷重経に殺され,石毛城は廃城になった」とされている。多賀谷氏が滅んだ後には,徳川家の天領となっていたようだ。この間の攻防の詳細に関しては,「史跡石毛城跡碑」の中に記されている。

慶長20年(1615年),廃城となった石毛城跡に宇佐八幡宮を勧請して八幡宮(八幡神社)が建立され,今日に至っている。

なお,『石下町史』の663~665頁によれば,元治元年(1864年),八幡神社の入口南側にあった小料理屋で「博徒七人斬り」という事件が起きたとのこと。


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鳥居


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拝殿前の鳥居


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拝殿


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扁額


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本殿(覆殿)


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社殿側面


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境内社


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境内社


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石毛城跡の標柱


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石裂山大権現


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歸命月天子(大勢至菩薩)


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馬頭尊?


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土塁跡の一部


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同上


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八幡神社本殿背後の様子


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史跡石毛城跡碑



 『石下町史』:石下八幡宮

 『石下町史』:石毛城(本石毛城)

 『石下町史』:博徒七人斬り



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