久喜市鷲宮:鷲宮神社(その1)
過日,出雲系神社としては関東地方で最古・最大の神社として知られる鷲宮神社(埼玉県久喜市鷲宮)を参拝した。祭神は,天穂日命・武夷鳥命・大己貴命。建御名方神・伊邪那美神・大山祇神・宇迦之御魂神・大山咋神・天照皇大神・迦具土神・素戔嗚尊・菅原道真を合祀している。
鷲宮神社のホームページに書かれている由緒によれば,鷲宮神社は,神代に天穂日宮と武夷鳥宮の父子が神崎神社本殿(大己貴命)を創始したのがはじまりの神社であり,後に現在の本殿である別宮(天穂日命・武夷鳥命)が建立され,その後,それぞれの時代に太田々根子命,日本武尊,征夷大将軍坂上田村麿が奉祀したと伝えられているとのこと。日本武尊ゆかりの神社の一つであることは,とても興味深い。また,このような由緒をもつ神社であるため,玉垣の中に鷲宮神社本殿(元の別宮)と神崎神社本殿とが並立するという配置・構造になっている。
これらの由緒の中で述べられている事跡が歴史上実際にあったかどうかはそれを信ずるかどうかによって異なることだと思われるが,それはそれとして,そのような出来事が歴史上あったのだとすれば,鷲宮神社は,古来,朝廷による東征のための中枢拠点としての役割を担っていた神社だったことになる。
ただし,鷲宮神社の由緒に関しては,林羅山の別説や『神道集』にあるような異説もある。
宗教学としてではなく歴史学として文献史料を基礎とする検討・考察を行う限り,鷲宮神社が太田荘の総社であったことから古い時代には藤原秀郷の流れを汲む太田氏が崇敬する神社であり,時代が下って戦国時代には小山氏が崇敬する神社だったことは確実だとされている。
他方,考古学調査の結果によれば,非常に古い時代から人々が集落を営んだ場所に鷲宮神社が鎮座していることが判明している。
境内地の中で発掘調査が実施されていない区域が少なくないのではないかと思われるのだが,既に発掘調査された区域もある。鷲宮神社の境内地にある鷲宮神社境内遺跡(埼玉県久喜市鷲宮)に関しては,既に別のブログ記事を書いた。
中世~戦国時代には数々の武将から崇敬され,江戸時代には徳川家から保護を受け,明治維新後には准勅祭社として極めて高い格式の神社であり続けた。
いずれにしても,このようにそれぞれの時代の支配者や有力者から保護され続けてきたという履歴をもつ格式の高い神社であるため,鷲宮神社には極めて重要な多数の文化財が伝えられてきた。
現在,鷲宮神社に奉納される鷲宮催馬楽神楽は,国指定の無形文化財となっている。小山義政が奉納した太刀は,国指定の重要文化財となっている。銅製双鶴蓬莱文鏡,銅製蓬莱文鏡,銅製桐文方鏡・付沈金彫桐文筥,銅製御正体,鷲宮神社文書・付棟札一枚文書三点,寛保治水碑は,埼玉県指定の文化財となっている。鷲宮神社関係資料は,久喜市指定の文化財となっている。
私が訪問した日には多数の参拝者があり,駐車場は常に満車のような状態だった。
そのため,参道正面の鳥居の撮影と拝殿正面の鳥居を断念した。ところが,鷲宮神社の本殿及び境内社等を拝した後,帰ろうとしたところ,ほぼ瞬間的に参道に人が誰もいなくなったので,本殿の方から参道と鳥居の写真を撮ることができた。
参道には参拝者が切れることがなかったというのに,このような珍しいことが起きた原因は不明。
本殿の方から見た参道と鳥居
鳥居側面
由緒略記
指定文化財の説明板
左側の狛犬
右側の狛犬
斜め前から見た拝殿
拝殿側面
本殿(天穂日命・武夷鳥命)
本殿(天穂日命・武夷鳥命)の側面
神崎神社本殿(大己貴命)
神崎神社本殿(大己貴命)の側面
神楽殿
同上
永代太太御神楽碑
鷲宮神社
久喜市:鷲宮催馬楽神楽について
久喜市:鷲宮神社の太刀
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