神栖市波崎:手子后神社
過日,手子后神社(茨城県神栖市波崎)を参拝した。祭神は,手子比売命。
古くは「天宮社」または「神遊社」とも呼ばれたようだ。
手子后神社の由緒に関しては諸説あるが,手子后神社のホームページでは「神護景雲年間(西暦七六七年)の創建」としている。
手子后神社に関しては,塙泉嶺編『鹿島郡郷土史 全』(昭和2年・復刻版昭和54年)の249頁に詳細な解説がある。
手子后神社は,『常陸國風土記』にある「童子女の松原」の伝承と深い関係のある神社だという点について,ほとんど異論がない。とはいえ,この「童子女の松原」の伝承の解釈に関しても諸説ある。非常に興味深い。
手子后神社の境内には,多数の境内社がある。境内社の1つである浅間神社の基壇部は,大きな方墳のような形状をしているのだが,古墳時代の古墳としては扱われていない。江戸時代以降の信仰塚(富士塚)として扱われているのだろうと思われる。
また,手子后神社の境内には大師堂の門柱があり,その区画の中には古い供養塔などがある。神仏習合の時代の雰囲気を現在でも残す貴重な文化遺産だと思う。
手子后神社大潮祭鳴り物は,神栖市指定の無形文化財となっている。
海岸にある大鳥居
参道の鳥居
参道
拝殿前の鳥居
説明板
参道
拝殿
本殿
本殿の彫刻(一部)
本殿の彫刻(一部)
左側の狛犬
右側の狛犬
本殿脇の境内社
本殿背後の境内社
手子后神社鎮守祭碑
境内社(厳島神社)の鳥居
境内社(厳島神社)
境内社(浅間神社)の鳥居
境内社(浅間神社)の石段
境内社(浅間神社)
境内社(稲荷社・天神社・琴平社)
手水
手子后の泉
神輿庫
神輿殿
神輿
大師堂入口付近
修行大師
青面金剛明王
古い供養塔
古い供養塔
手子后神社
茨城県神社庁:手子后神社
神栖市観光協会:手子后神社大潮祭
神が宿るところ:手子后神社(茨城県神栖市)
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