千葉県印旛郡栄町安食:厳島神社

過日,厳島神社(千葉県印旛郡栄町安食)を参拝した。祭神は,多喜比賣命・興津島姫命・市杵島姫命。
この厳島神社は,木塚厳島神社とも呼ばれる。「木塚」との名称の由来は不詳。厳島神社の境内社である阿夫利神社が円墳または前方後円墳のような形状の塚となっているので,この塚のことを指すのかもしれない。

厳島神社に関しては,千葉縣印旛郡役所編『千葉縣印旛郡誌』(大正2年)の復刻版である『千葉県印旛郡誌 後篇』(臨川書店,昭和60年)の707頁に記載のある厳島神社(安食村字天王前)が該当すると考えられる。

由緒等の詳細は不詳。『千葉県印旛郡誌 後篇』によれば,駒形神社(千葉県印旛郡栄町安食)の神官が管理する神社ということなので,駒形神社の場合と同様,戦国時代(大台城が落城した後の江戸時代初期)に創始された神社なのかもしれない。
境内に建立されている植樹記念碑には江戸時代に創設された神社である旨が記載されている。

『千葉県印旛郡誌 後篇』の707頁の記載によれば,厳島神社の社殿は「巌室」となっている。本殿の前で拝したところ,木製の覆殿があり,その奥に「巌室」の一部かもしれない構造物が見えた。その詳細は分からない。現代のコンクリート製の擁壁に過ぎないのかもしれない。

厳島神社の近隣の古墳としては,小台児童公園の西側に位置する住宅地内に小台遺跡と2基の円墳で構成される小台古墳群があったけれども,宅地開発により隠滅している。

厳島神社の境内社である阿夫利神社は,現時点では古墳時代の古墳としては扱われていないが,その基壇部は円墳または前方後円墳のような形状をした塚状のものとなっている。
この阿夫利神社は,元は厳島神社の西約220mのところにあった石尊山の上に祀られていた神社だったけれども,宅地開発に伴い,厳島神社の境内地内に遷座したとのこと。この石尊山こそが古代古墳群を構成する古墳のいずれかだったのだろうと推定されることから,現在の阿夫利神社の基壇部は元の石尊神社の基壇となっていた古墳の形状を模したものだったのかもしれないと思った。

いずれにしても,厳島神社の立地から推定すると,小台遺跡の所在地~小台児童公園の敷地~安食台小学校の敷地~厳島神社の境内地は,一体として古代の遺跡があった場所であり,古墳群が存在した可能性がある場所だと考えられる。

栄町当局による科学的な調査が実施されたことがあるのかどうかは知らない。


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鳥居


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手水


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二十三夜供養塔


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拝殿


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拝殿側面


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本殿


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同上


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拝殿裏の境内社


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境内社(阿夫利神社)の石段から見た社殿


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左側の狛犬


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右側の狛犬


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植樹記念碑


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拝殿改築記念碑


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境内社


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境内社(阿夫利神社)の石段


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境内社(阿夫利神社)の説明板


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境内社(阿夫利神社)


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神池


Phoenicurus auroreus
境内で出遭ったジョウビタキ(Phoenicurus auroreus)のメス



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