千葉県印旛郡栄町安食台:駒形神社

先日,駒形神社(千葉県印旛郡栄町安食台)を参拝した。祭神は,保食神。八坂神社と浅間神社を合祀している。

駒形神社に関しては,千葉縣印旛郡役所編『千葉縣印旛郡誌』(大正2年)の復刻版である『千葉県印旛郡誌 後篇』(臨川書店,昭和60年)の705~706頁に詳細な解説がある。
同書の解説によれば,駒形神社の鎮座地となっている台地は,現在では境内地に木々が繁っているために視界が良くないが,元は「駒形山」と称する場所であり,四周を遠くまで見渡すことのできる素晴らしい場所だったようだ。「畵伯墨客の遊覧地として好適の地なり」と書かれている。
同書は,駒形神社の由緒に関し,『佐倉風土記』と『日本名勝地誌』を引用して,天正2年に大洪水があり,天正3年には旱魃があり,仁平元年には大水害があったため,3年連続で民が飢餓と直面したことから,当時の郡司・大浦廣足が同年9月に駒形山上に駒形神社を建立して穀神を祀ったところ,翌年(仁平2年)からは穀物が大いに豊熟したので,以後,旧地名である「川崎郡」を「安食郡」と改めたとの趣旨のことを述べている。
現在では大規模な住宅地の中に埋没してしまったような神社となっているけれども,かつては,農業に従事する人々にとって,生きるために必須の信仰の対象となっていた神社だったのだろうと推察される。

駒形神社の本殿は,棟札から文化4年(1807年)に建立された建物と推定されており,栄町の文化財に指定されている。

駒形神社の鎮座地である円形の台地は,その全体が大台城跡となっている。

『千葉県印旛郡誌 後篇』(臨川書店,昭和60年)の703頁には,「弘治二年 上總大台の城主依田因幡之守之を築き弟兵助をして此に居らしむ 天正二年城陥る」と書かれている。
上記の『日本名勝地誌』の中にある駒形神社の由緒と併せて考えると,元は城であった場所が天正2年頃に戦乱によって廃城となり,それと同時にこの地の治水を統括していた大台城主及びその家臣も滅んでしまった結果として統治組織が崩壊し,治水も行われなくなり,周辺一帯がひどく荒廃して大勢の農民が餓死と直面してしまったことから,新たな領主が領地の復興のために城跡敷地の一部に駒形神社を建立し,復興に努めたということなのだろうと推察される。「安食」という呼称には,「安心して食べていける」という願いが込められているのだろう。

大台城跡の現況としては,栄町立栄中学校の敷地とするために大規模に削平されている。
また,それ以外の土地部分に関しても,古い時代から開墾等のためにかなり改変されているとみられる。それゆえ,この場所で城跡らしいところを探すことは容易なことではないが,それでも段丘縁付近には土塁の痕跡ではないかと疑われる地形が点々と残されている。
特に駒形神社の境内地にはやや複雑な地形の場所がある。そのような場所は,元は大台城の虎口または桝形のような場所だったのではないかと疑われる。

丁寧に見学したかったのだが,たまたま栄町立栄中学校の下校時と重なってしまい,生徒らから不審者ではないかと疑われると困るので,境内地の地形等を細かく観察することは断念した。
もし機会があれば再訪したいと思っている。


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鳥居


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手水


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石段


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参道の鳥居


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拝殿


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本殿


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本殿の彫刻(一部)


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本殿の彫刻(一部)


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本殿の説明板


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境内社


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境内社・神木


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境内社


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旧神木切株


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旧神木


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同上



 駒形神社

 栄町:駒形神社本殿

 余湖:大台城(印旛郡栄町安食字大台)



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