神栖市波崎:常陸国風土記童子女の松原公園
2024年12月28日のことだが,常陸国風土記童子女の松原公園(茨城県神栖市波崎)を訪問した。
この公園は,『常陸國風土記』の鹿島郡のところに書かれている童子女の松原の伝承にちなんで現代に築造された公園。古代の遺跡ではない。
「童子女」は,(本来は)「うない」と読む。
この伝承には「那賀寒田之郎子」と「海上安是之嬢子」という男女が登場する。
「寒田」とは,現在の神栖市中心部にある神之池の場所とされている。
吉田東伍『増補大日本地名辞書 第六巻 坂東』(冨山房,初版明治36年・増補版昭和45年)の1143~1144頁によれば,神之池は,元は「神野池」と表記され,「軽野池」または「業池」とも表記されたとしている。同書の1145頁は,「軽野郷」に関し,万葉集に「鹿島郡苅野橋」とあることを引用しつつ,「寒田沼とは,今の神池(軽野池)にて、南なる奥野谷,知手,日川,溝口,柴崎,荒原等に灌漑せらる」としている。同書の1145~1146頁にも「神野池」の解説がある。
「安是」に関しては,『増補大日本地名辞書 第六巻 坂東』の1142~1143頁は,「安是湖」を「アゼノミナト」と読むものとした上で,「是れ今の銚子湊にあたり」とし,その根拠を詳細に述べている。
そして,同書1143~1144頁は,「手子崎神社」に関し,「東下村の羽崎にあり,いわゆる海上の安是の嬢の霊祠にして,手子は古言嬢,崎は妃(キサキ)なり」としている。加えて,男女か化したという「松」とは,この祠のことを指すと解した上で,「松原」の所在地とはこの神社の鎮座地のことを指すとの見解を示している。
同書にいう「手子崎神社」とは,手子比売命を祭神とする手子后神社(茨城県神栖市波崎)のことを指す。
この公園は,公園それ自体としては,のんびりできる良い場所なのだが,男女の像や鐘などの時代考証にはあまり賛成できない。
「那賀寒田之郎子」と「海上安是之嬢子」という伝承の人名の形容詞となっている地名を基礎として時代考証する場合,それらの地名は,律令制の下における行政区画の呼称としての郡と関係するものなので,7世紀以降の時代において銚子~鹿島~行方に存在し得た文物を想定するのが正しいと思われる。
常陸国風土記童子女の松原公園の入口付近
石碑
説明板
時代考証に問題のある像
時代考証が完全に破綻している鐘
縄文土器のレプリカ的なモニュメント
古墳時代の埴輪のレプリカ的なモニュメント
同上
同上
同上
休憩場所
上空を舞うトビ(Milvus migrans)
波崎の海岸
同上
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