旭市長部:長部城跡(長部砦址)(その1)
過日,長部城跡(千葉県旭市長部)を見学した。
長部城跡に関しては,千葉縣香取郡役所編『千葉縣香取郡誌』(大正10年)の536~537頁に「長部砦址」としての解説がある。
長部城は,國分朝胤の子である松澤光胤の居城だったと一般に考えられている。
長部城跡の所在地の旧地名は「大字長部字要害」だったとのことなので,古くから要害(砦)があった場所として知られていたのだろうと思う。
長根城跡は,城跡としては文化財の指定を受けていないが,敷地全体として大原幽学遺跡として国指定の史跡となっている。
長部城跡の敷地内には大原幽学記念館などの大原幽学関連の建物がある。
南東の方から見た長部城跡の全景
東の方から見た長部城跡の全景
北東の方から見た長部城跡の全景
複雑な構造の切通しのような場所
上の方から見た切通しのような場所
切通しのような場所から見た観月臺(物見台)所在地付近
大原幽学旧宅の東側にある観月臺(物見台)所在地付近
大原幽学旧宅の上にある土塁様の場所の先端部分
同上
大原幽学旧宅の上にある土塁様の場所の上部
同上
同上
大原聖殿の北西側にある土塁跡など
大原聖殿の上にある塚状の土塁跡
同上
同上
塚状の土塁跡上の石祠
(大日孁貴命・誉田別命・倉稲魂命)
塚状の土塁跡付近から見た大原聖殿脇の池
大原幽学が幕府(勘定奉行)から危険人物として警戒された原因としては,要害の地に私宅や教場などの建物を建設したことにも原因があるのではないかと考えられる。
大原幽学が生きた時代は幕藩体制の時代なので,当該の地の領主よりも優勢な集団(特に武士ではない農民を主体とする統治集団)が存在することは認められない。
余湖:長部城(干潟町長部)
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