大原幽学記念館と大原幽学の遺跡(その1)

過日,大原幽学記念館(千葉県旭市長部)を訪問した。

徳川幕府は大原幽学を結果的に自殺に追い込んでしまったといいうことになるわけだが,直接の契機となった事件は,大原幽学の教育活動の拡大に伴って建設された改心楼という建物に関東取締出役が乱入したという出来事だったとされている。
関東取締出役は,俗に八州廻りとも呼ばれ,勘定奉行配下の広域警察組織に属する役人なので,最初から大原幽学の教育活動や農村振興活動を潰す気で乗り込んだということなのだろうと思う。
つまり,その乱入の日には大原幽学の運命が既に決まっていたとも言い得る。

現代の感覚からすれば,大原幽学には非がなく,幕府が悪であるように見えるが,武士のみを支配者とする幕藩体制下においては,大原幽学は危険人物以外のなにものでもなかったのだろう。

現代のように思想信条の自由や学問の自由,(農業経営を含め)事業活動の自由などが基本的な人権の一種として認められていた時期は,日本国の歴史上ではほとんどなかったと言って良い。

第二次世界大戦後の基本的な価値観のみを基礎としてそれ以前の社会や支配的な思想などのことを理解しようとすると完全に誤る。そもそも根本から違うのだ。

大原幽学は,基本的人権の保障など全くない時代に生まれてしまった悲運の人というべきなのだろう。

大原幽学記念館は,長部城跡の中にあり,関連資料等がとても分かりやすく展示されていた。考古学上の発掘品等も整理されて展示されている。良い施設だと思う。

関連する建物として大原幽学旧宅と大原聖殿なども保存されており,それらの建物を見学した。

旧宅,墓及び宅地耕地地割は,大原幽学遺跡として国指定の史跡となっている。大原幽学関係資料は,歴史史料として国指定の重要文化財となっている。

大原幽学遺跡に関しては,千葉縣香取郡役所編『千葉縣香取郡誌』(大正10年)の537~538頁に解説がある。

大原幽学を処罰した幕府の役人らの子孫がそのことをどう思ったかについては,全く知らないし,誰も調べていないだろうと思う。


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大原幽学遺跡の入口付近


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同上


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案内図


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大原幽学遺跡の説明板


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宅地耕地地割


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同上


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大原幽学旧宅付近の門


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大原幽学旧宅前の通路


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大原幽学旧宅入口


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大原幽学旧宅


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同上


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同上


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説明板


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同上


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大原幽学記念館


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同上


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庭園


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大原幽学遺跡譲受記念碑



 大原幽学記念館

 国指定文化財等データベース:大原幽学遺跡

 国指定文化財等データベース:大原幽学関係資料



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