印西市浦部:大六天神社と古墳
過日,大六天神社(千葉県印西市浦部)を参拝した。
大六天神社の由緒等の詳細は不詳。
大六天神社の鎮座地は,旧印旛郡浦部村(後に旧印旛郡永治村に吸収合併)となっているのだが,千葉縣印旛郡役所編『千葉縣印旛郡誌』(大正2年)の復刻版である『千葉県印旛郡誌 後篇』(臨川書店,昭和60年)の541~545頁の第九章神社誌の中には大六天神社の記載が全くない。
一般的には,遅くとも江戸時代には存在した神社だと考える見解が多い。
大六天神社の祠の裏には鎌倉時代~室町時代頃のものかもしれない板碑の断片のようなものが祀られている。もしその板碑の断片のようなものが最初から存在していたのだとすれば,江戸時代よりもずっと前から存在していた神社ということになりそうだ。なお,この板碑のようなものの手前には石皿または石枕のようなものも置かれている。
大六天神社は,明治時代の神仏分離により於母陀流命・阿夜詞志古泥命を祭神とする神社となったとのこと。しかし,実際には現在でも神仏習合のまま大六天魔王(他化自在天)を祀る神社として崇敬されていることが明らかだ。
大六天神社の鎮座地は,大きな塚となっている。この塚は,浦部古墳と呼ばれる全長約28m・高さ約2mの前方後円墳(帆立貝式古墳)とされている。南側に位置する参道と鳥居のあるあたりが前方部であり,北側の塚状部分が後円部であるとされている。
大六天神社の境内地と周辺一帯はとても丁寧に整備され,駐車場が完備している立派な公園となっており,神社の北側に位置する展望場所からかな遠くの様子がよく見える。
古代から戦国時代に至るまで,統治・軍事の上で極めて重要な場所だったことは間違いない。
南の方から見た大六天神社鎮座地
大六天の標柱
説明板
駐車場から大六天神社に通じる通路
参道と鳥居
鎮座地
大六天祠
大六天祠の背後にある板碑断片のようなもの
手水
手賀沼干拓発祥の地碑
小手君頌徳碑
浦部古墳の墳頂付近の様子
西の方から見た浦部古墳
北の方から見た浦部古墳
東の方から見た浦部古墳
四阿
展望場所付近の様子
展望場所から見た筑波山
展望場所から見た手賀沼の一部
趣味の案件:印西市浦部古墳
この記事へのコメント
実際に訪問し,参拝した後に周囲の景観を拝見し,とても素晴らしい場所だと思いました。
文化財の保護という側面においても,最高レベルを維持していると思います。
今後もずっとそのようであり続けて欲しいです。