旭市上永井:飯岡灯台から見えた景色など
2024年11月3日のことだが,調査等の目的で移動中,飯岡刑部岬(千葉県旭市上永井)に寄ってみた。
この場所からは,かなり遠くまで見通すことができ,多数の釣舟や海上風力発電施設などを観ることができた。また,飯岡刑部岬展望館のすぐ下の刑部岬(千葉県旭市下永井)にある飯岡漁港には釣舟がどんどん帰港しているところだった。
飯岡漁港ではウミネコ(Larus crassirostris)と思われるカモメの仲間の鳥が群れて海面に浮かんだり釣舟の周辺を飛行したりしているのが見えた。
飯岡漁港の先の下永井海岸では,非常に多くの人々がサーフィンを楽しんでいる姿が見えた。
刑部岬との地名は,鎌倉時代の武将・片岡常春に仕えた家老である鬼越刑部に由来するもの。元は刑部岬の下に鬼塚刑部の屋敷があったのだそうだ。
しかし,鎌倉時代当時と比較すると,海蝕により,海岸線が600~700m程度後退してしまい,現在では崖地となってしまったため,鬼塚刑部の屋敷所在地も片岡常春の館所在地も物理的に完全に消滅してしまった。
刑部岬の所在地である旭市には,御前鬼塚古墳(千葉県旭市鏑木)と呼ばれる大きな古墳がある。この古墳の呼称と鬼塚刑部との関係は不明。
さて,古代から明治維新まで,このあたりでは大きな戦闘が何回もあった。この刑部岬のようなところから眺めていると,どれだけの兵力をもつ軍がどの方角からどのように攻めてくるのかが良くわかる。刑部岬にある展望館の展望場所から周囲の海や海岸線を眺めていると,そのことを冷静に理解できるようになる。
一般に,攻める側の軍としてはいち早くこのような眺望の良い場所を確保することがその後の戦況に大きな影響を与えることになるので,精鋭部隊を迅速に送り込んでこのような場所を確保しようと試み,守備側との間で熾烈な戦闘が重ねられたのに違いない。
第二次世界大戦当時においては,千葉県沖~茨城県沖に展開している米海軍の大艦隊の姿が刑部岬から良く見えただろうし,米軍の爆撃機や地上攻撃機が飛来する様子を仔細に観察することができただろうと思う。
それだけに,この場所に配置されていた観測・偵察部隊や灯台施設に対する攻撃だけではなく灯台職員や民間人に対する地上攻撃機による爆弾投下や機銃掃射も頻回にあったのだろうと想像した。
惨いことではあるが,それが戦争というものだ。負けるときはとことん悲惨な状態まで行きつく。
飯岡灯台
飯岡灯台の説明板
屛風ヶ浦と刑部岬の説明板
陸上の風力発電施設
同上
海上の風力発電施設
下永井海岸でサーフィンを楽しむ人々
飯岡漁港
同上
帰港する釣舟
同上
同上
同上
飯岡漁港のウミネコ(Larus crassirostris)
同上
同上
同上
太平洋
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