二戸市福岡:九戸城跡(その2)
過日,九戸城跡(岩手県二戸市福岡)を訪問し,見学した。
九戸城は,九戸氏が居城にした戦国時代末期の大規模な城であり,最後の城主・九戸政実とその一族は,天正18年(1590年)の奥州仕置の際,豊臣秀吉の大軍によって滅ぼされた。
九戸政実と九戸城跡に関しては,二戸市史編さん委員会編『二戸市史 第一巻 先史・古代・中世』(平成12年)の670~712頁に詳細な解説がある。
本丸及び二の丸の土塁,石垣跡,桝形などは丁寧に復元されており,ゆっくりと歩きながら観察すると,とても勉強になる。
やはり,現地において実見することにより,図面や3次元グラフィックでは決して体感できない何かを得ることができる。一般に,机の上で関連資料等を読むことや3次元立体表示装置を使った疑似的な体験だけで全てを理解したと錯覚することは,致命的なレベルで愚かなことだと思う。少なくとも(理系・文系を問わず)関連分野の専門家や研究者においては決してあってはならない態度もしくは姿勢または考え方だと思う。
二の丸搦手付近から見た二の丸東側部分の様子
同上
二の丸搦手の説明板
説明板付近から見た二の丸搦手口付近の様子
(奥は石沢館と二の丸東側部分との間の空堀の一部)
二の丸東側部分にある門の柱穴跡
門の柱穴跡の説明板
二の丸東側部分北端の土塁
(奥は石沢館の一部)
二の丸東側部分の東端付近
四阿
二の丸東側部分南端の土塁跡
土塁断面の表示施設
二の丸東側の土塁の説明板
南の方から見た二の丸門跡付近全体の様子
二の丸大手付近から見た二の丸西側部分
二の丸大手にある説明板
二の丸大手の上部の様子
(奥は,武家屋敷跡遺跡所在地付近)
南西の方から見た二の丸大手口付近
二の丸南側の堀跡
若狭館付近から見た二の丸南側の堀跡
二の丸東端付近の東側の堀跡
二の丸(左)と若狭館(右)との間の堀跡
若狭館の一部
二戸市教育委員会:日本中世終焉の地 国指定史跡 九戸城跡
文化庁国指定文化財等データベース:九戸城跡
文化遺産オンライン:九戸城跡
この記事へのコメント