二戸市福岡:安養寺

過日,浄土宗・成田山護国院安養寺(岩手県二戸郡福岡)を参拝した。

安養寺の縁起等に関しては,安養寺のホームページ内で詳しく述べられているほか,二戸市史編さん委員会編『二戸市史 第二巻 近世・近代・現代』(平成13年)の326~327頁に詳細な解説がある。
火災により古文書のほぼ全部が失われてしまったため,縁起の細部に関しては,伝聞に頼らざるを得ず,典拠によって異なる箇所があるとのこと。

『二戸市史 第二巻 近世・近代・現代』の解説によれば,安養寺の本寺は,浄土宗・亀通山霊井院大泉寺(岩手県盛岡市本町通・増上寺の末寺),護国院(不動堂と同一の建物である護国殿)の本寺は,真言宗智山派・成田山新勝寺(千葉県成田市成田),安養寺本尊は阿弥陀如来,護国院本尊は不動明王となっている。これに対し,現在の安養寺のホームページによれば,安養寺は,浄土宗の寺院であり,本尊は阿弥陀如来となっている。

『二戸市史 第二巻 近世・近代・現代』の解説によれば,安養寺は,約400年前に不動明王を本尊とする真言宗慈眼院として呑誉龍含上人によって現在の境内地において開創され,九戸氏と南部氏との間の戦乱の際には他所(現在の二戸市石切所)に避難していたが,九戸城落城後に現在の境内地に戻り,万治元年(1658年)に阿弥陀如来を本尊とする浄土宗に改宗し,大泉寺末寺となって寺号を得生山安養寺と改め,更に,明治37年の日露戦争に際し,近在の軍人の戦勝と武運長久を祈願して成田山新勝寺(本山)から分霊を勧請して護国殿(不動堂と同一の建物)が建築され,成田山護国院安養寺と改称したとのこと。
また,『二戸市史 第二巻 近世・近代・現代』の解説によれば,安養寺は,宝永3年(1706年)の火災により,本尊の除き,一切を焼失し,享保10年(1725年)に再建されたが,老朽化が著しいため,昭和24年(1949年)に現在の堂宇が新築されたとのこと。

安養寺の隣地に鎮座する呑香稲荷神社は,室町時代~江戸時代には習合していたことが確実。そのことから,「呑香」はアイヌ語に由来するのではなく,「呑誉」に由来するものかもしれないとも考えられる。

境内の裏手は,九戸城松の丸の一部となっており,そこに登る石段の途中には(奥の院として)大日如来が祀られているとのことなのだが,手持ち時間の関係でその場所は訪問しなかった。


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本堂


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南無阿弥陀佛


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本堂前の石段


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如意輪観音など


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不動堂入口付近


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不動堂の石段と山門


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左側の狛犬


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右側の狛犬


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不動堂


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不動堂の扁額


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奥の院に至る石段


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地蔵尊


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石塔


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石塔の基壇にある開創頌文


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日露戦争戦死者供養塔


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山神社の石祠


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成田山開創安養寺中興正僧正順冏大和尚像



 成田山安養寺



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