香取市佐原イ:浄国寺(その1)

過日,日蓮宗・長妙山浄国寺(千葉県香取市佐原イ)を参拝した。本尊は,三寶佛。

浄国寺は,永禄年間に,永沢家の始祖・永沢伊豆守が出家し,旧佐原村上寺宿で開山した寺院。その後,現在の境内地(旧佐原村寺宿)に移転した。
浄国寺のホームページでは,永沢伊豆守に関し,「丹波国(現京都府)出身・下総矢作領主,国分氏に仕えた」と説明しているが,千葉縣香取郡役所編『千葉縣香取郡誌』(大正10年)の427頁では,「千葉氏の族」としている。
この点に関し,佐原市役所編『佐原市史』(昭和41年)の985~986頁は,「永沢伊豆守は丹波国(京都)から下向し国分遠江守の一味で,今の栗原町沢・荒北付近の通称『永沢屋敷』といわれたところに住んだ」としている。

浄国寺の本堂内には加藤清正(清正公大神祇)も祀られている。国分遠江守または永沢伊豆守は,加藤清正と何らかの関係をもっていたのかもしれないというような印象を受けた。
なお,加藤清正は,熊本藩主として,キリシタンに対して日蓮宗に改宗するように命じ,その命令に従わない者を処刑している。

その後,江戸時代において,日蓮宗に属する不受不施派は徳川幕府によって何度も弾圧を受け,佐原においても何度か関係者の処分が行われた。天保11年(1840年)には,浄国寺の檀家であった者が捕らえられて裁かれたが,その件と関連して浄国寺も処分を受けた(『佐原市史』416頁)。

明治6年には,浄国寺の本堂を仮校舎として佐原小学校が開校された(『佐原市史』986頁)。浄国寺は,明治初年の学校教育に大いに貢献した寺院でもあることになる。

明治21年に火災によって堂宇が失ったが,天明年間に建立された山門だけは焼失を免れ,浄国寺で最も古い建造物となっている。

本堂は,明治21年の焼失後に再建されたが,老朽化したため,平成19年に現在の本堂が建立された。

参道と交差する人工の水路の上には石橋がかかっている。この水路は,伊能忠敬旧宅の敷地隅を流れる水路と同一のもの。江戸時代において,伊能家と永沢家は,佐原の豪商であり,名主だったようだ。

浄国寺境内には永沢家一族の墓所がある。永沢家の墓域内には国学者・清宮秀堅の墓所もある。


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浄国寺入口付近


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山門


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南無阿弥陀佛


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参道と石橋


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本堂正面


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本堂側面


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石塔・南無阿弥陀佛・清正公大神祇


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寺務所


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七面堂


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豊田岡田稲荷


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豊田岡田稲荷の社殿



 日蓮宗 長妙山 浄国寺



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