茨城県稲敷郡阿見町廻戸:十握神社と廻戸城跡・廻戸貝塚

過日,十握神社(茨城県稲敷郡阿見町廻戸)を参拝した。祭神は,經津主神。

由緒等の詳細は不詳。社号からすると日本武尊(倭武)と関係する神社のように読めるし,もしかするとそのような神社として創始されたのかもしれないのだが,少なくとも現在ではそのような神社ではないようだ。

かつて,十握神社の拝殿の前には土俵があったようだ。しかし,その場所は,現在では草ぼうぼうの状態であり,よくわからなくなってしまっているので,相撲が奉納されることもなくなってしまったのだろう。

十握神社の鎮座地は,古代(古墳時代)においては土俵ではなく円墳があった場所かもしれない。
十握神社と同様の立地の場所には現在も古墳が残されているところがある。例えば,びだら塚古墳(茨城県稲敷郡阿見町青宿)と青宿古墳群(茨城県稲敷郡阿見町青宿)がある。

十握神社の境内地とその周辺一帯(岬状の台地突端部)は,廻戸城と呼ばれる城または砦があった場所だとされている。
地形が相当に改変されているので往時の様子を知ることは難しいのだが,十握神社の境内地から霞ヶ浦方面への眺望がかなり良いので,鎌倉時代以降には少なくとも見張台のようなものが設けられてきた場所だったのだろうと推定される。

廻戸城の城主等は不明だが,いばらきデジタルマップ上では「中世」の城跡とされている。
ただし,阿見町史編さん委員会編『阿見町史』(昭和58年)の121~200頁では鎌倉時代~戦国時代を中世としてくくった上で,北条氏と土岐氏との間の抗争の中で築城された多数の城について解説しているので,いばらきデジタルマップ上の「中世」との表示も鎌倉時代に限定されることなく戦国時代までのかなり長い間の時代を指すものと解するのだが妥当だろう。

廻戸城跡と廻戸貝塚を含む台地上の広い範囲の土地(現況は住宅地)は,廻戸遺跡と呼ばれる縄文時代,弥生時代,古墳時代,中世の複合遺跡(集落跡)となっているので,このあたりは,古くから多くの人々が住む良い場所だったのだろうと思われる。

「まほろば」という施設の入口付近には廻戸貝塚という縄文時代の遺跡がある。この廻戸貝塚の所在地には説明板が立てられている。廻戸遺跡と関連する説明板は,この廻戸貝塚の説明板だけではないかと思われる。


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十握神社参道


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鳥居


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拝殿


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本殿


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境内社(天神宮)


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境内社(?大権現)


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境内社(愛宕神社)


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境内社(大山阿夫利神社)


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境内社


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境内社


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境内社


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十握神社の鎮座地・廻戸城跡


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廻戸貝塚所在地


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貝塚遺跡と思われる段丘斜面


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廻戸貝塚の説明板



 余湖:廻戸(はざまど)城(阿見町廻戸字東坪)



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