土浦市荒川沖西:荒川沖稲荷神社
過日,荒川沖稲荷神社(茨城県土浦市荒川沖西)を参拝した。
この稲荷神社は,国道6号線の陸橋東側に前の院が鎮座しており,陸橋の西側に奥の院が鎮座している。
稲荷神社の形式をとっているが,奥の院には小松原惣左衛門が祭神(大明神)として祀られ,前の院には小松原庄左衛門が祭神(大明神)として祀られている。
小松原父子は,江戸時代におけるこの地域の大恩人。
境内地に建立されている説明板(縁起書)によれば,小松原父子は,享保17年(1732年)の大飢饉の際,牛久藩庁代官所の役人として,牛久藩主に請願して牛久藩の倉から救済米を放出してもらうなどするため尽力し,その結果,この地区においては餓死者を出さなくても済んだのだという。
詳しいことは分からないが,現在の荒川沖西地区の全部または一部は,土浦藩の領地ではなく牛久藩の領地の一部であったか,または,藩の領地を越えた救援活動を行ったかのいずれかということになるのだろうと思う。
後に,この地域の住民が,小松原父子の恩に報いるため,この稲荷神社を建立したとのこと。
何も説明を受けることがなければ単なる稲荷神社のようにしか見えない。しかし,この神社は,当時の出来事について,非常に多くの大事なことを語りかけ続けているのだと思う。
前の院の鳥居
前の院の社殿
前の院の旧石祠?
縁起書
前の院の社号標
奥の院の鳥居
奥の院の社殿
奥の院の社号標
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