土浦市乙戸:佛照寺
過日,浄土真宗本願寺派・浄琴山佛照寺(茨城県土浦市乙戸)を参拝した。本尊は,阿弥陀如来。
昭和35年6月,太信法師によって現在の境内地に仮堂の一宇を建立したのが始まりの新しい寺院。
しかし,その来歴は非常に古く,近江山崎氏の菩提寺・浄貞寺の本尊だった阿弥陀如来像がその後の縁で太信法師に託され,佛照寺が建立されることになったのだという。
佛寺の二代目住職・仁彦氏は,ミャンマーを留学僧として訪問して修行した後に帰国する際,ミャンマーのポント寺の大僧正からインパール戦役で亡くなった18万人ともいわれる日本兵の霊を弔うようにと仏像を託され,以来,仏塔建立のための資金を集めるために奔走し,その結果,佛照寺の境内にビルマ釈迦堂が建立され,今日に至っている。
私が佛照寺を訪問した際には,本堂の中で住職による法話が行われている最中のようだった。その邪魔にならないよう気をつけながら本堂とビルマ釈迦堂の前で合掌し,境内を拝見した。
佛照寺山門
佛照寺本堂
ビルマ釈迦堂
ビルマ釈迦堂の説明板
鐘楼
梵鐘
馬頭観世音
釈迦牟尼象
現在ではインパールにおける戦闘の様子を知る人もほとんどいなくなってしまったのではないかと思われる。もともと無謀で無意味な作戦であり,何万人もの若者が命を落としたことについては,その責任のほぼ全部が参謀本部にある。
『世界ノンフィクション全集第15巻 いちばん長い日 ドンとヴォルガ インパール』(筑摩書房,1968年)に英国軍側から見た戦闘の様子の描写が掲載されており,若い頃に夢中になって読んだことがある。
インパールにおける戦闘当時の大日本帝国陸軍の戦闘方法は,日露戦争当時のものとほとんど変わっておらず,「これでは当然負けるはずだ」と深く溜息をついた記憶がある。
この本は,後に若い人にあげてしまったのだが,その人がちゃんと読んでくれたかどうかは全く分からない。
佛照寺ホームページ
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