ひたちなか市湊泉町:光明寺
過日,湊光明寺とも呼ばれる時宗・経典山等覚院光明寺(茨城県ひたちなか市湊泉町)を参拝した。本尊は,阿弥陀如来。
常陸三十三観音第九番札所となっている。観音勢至堂の本尊は,聖観音。
光明寺に関しては,那珂湊市史編さん委員会編『那珂湊市史料 第四集』(昭和54年)の292~315頁に詳細な解説があり,同書314頁には明治4年当時における光明寺の絵図が収録されている。
光明寺は,同書収録史料によれば,光明寺は,延文元年(1356年)に部田野村(現在のひたちなか市部田野)で創立され,応永3年(1396年)に湊村字地蔵町ノ上(現在のひたちなか市湊中央付近?)に移り,更に,水戸藩主・徳川頼房の命により,現在の地に移ったとのこと。
光明寺の山号は,元は「経田山」だったけれども,現在は「経典山」となっている。
本尊の阿弥陀如来は,恵心僧都の作とされている。聖観音像は,行基の作と伝えられているが,詳細は不明。
光明寺には元は鐘楼堂,熊野清浄堂などの建物もあった。しかし,元治元年(1864年),天狗党の乱の際に兵火により堂宇を焼失し,明治8年,現在の堂宇を再建した。
光明寺の寺門をくぐると,正面に観音勢至堂があり,「二十三夜尊」の扁額がかかっている。元治元年に堂宇が焼失するまでは二十三夜堂と正観音堂として別の建物が存在していたけれども,明治8年の再建の際に合体した御堂となったようだ。
光明寺入口付近
本堂
本堂側面
観音勢至堂
扁額
地蔵尊
古い供養塔など
まぼろしの霊場・常陸(水戸)三十三観音霊場:第9番札所 時宗 湊光明寺
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