ひたちなか市館山:光泉寺

過日,浄土真宗本願寺派・松間山光泉寺(茨城県ひたちなか市館山)を参拝した。

光泉寺に関しては,那珂湊市史編さん委員会編『那珂湊市史料 第四集』(昭和54年)の374~375頁に詳細な解説がある。

この解説によれば,光泉寺は,慶長5年(1600年),了南上人を開基として前浜村(現在のひたちなか市前浜)で創始された寺院。本願寺の末寺。元禄9年(1696年),徳川光圀の命により現在地に移転した。

元治元年(1864年),天狗党の乱の際に堂宇がどのようなことになったのかについては,『那珂湊市史料 第四集』の「光泉寺」の項には特に説明がないけれども,同書の405~435頁の「館山七ヶ寺(那珂湊)」の項には,他の隣接する寺院関連の史料と一緒に光泉寺関係の史料も収録されている。
それによれば,明治8年,光泉寺は,廃寺となった。推測としては,堂宇も焼失していたのではないかと思われる。
その後,光泉寺の檀家惣代らの強い請願により,明治9年,内務省(三条実美)によって光泉寺の寺院復立が決定された。その後,現在の本堂・庫裏が再建されたのだろう。

なお,同書の434頁には明治4年当時における寺院配置図が収録されており,同書に収録されている関連史料を読む際にとても参考になる。この寺院配置図は,旧館山城について研究している人にとっても何らかの助けとなる図面ではないかと考えられる。


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光泉寺入口付近


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本堂


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大慈大悲観音


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仏教婦人会綱領


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南無阿弥陀佛



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