ひたちなか市館山:正徳寺
過日,浄土真宗本願寺派・細谷山正徳寺(茨城県ひたちなか市館山)を参拝した。
正徳寺に関しては,那珂湊市史編さん委員会編『那珂湊市史料 第四集』(昭和54年)の375~377頁に詳細な解説がある。
同書の解説によれば,正徳寺は,慶長19年(1614年)に茨城郡細谷村(後の上大野村・現在の茨城県水戸市東大野)で開山の寺院。当時の寺号は,徳応寺。万治4年(1661年)に部田野村(中野村部田野・現在のひたちなか市部田野)に移転し,寺号を正徳寺と改めた。そして,元禄9年(1696年),徳川光圀の命により現在地に移転した。
元治元年(1864年),天狗党の乱の際に兵火により堂宇を焼失したが,明治13年,本願寺の末寺となり,堂宇を再建した。現在の本堂は,その時に再建された建物またはその後に改修された建物だと思われる。
正徳寺には,水戸藩典医・久保田宗仙の屋敷の門(安政6年建築)だったが,寄付により,昭和46年にこの場所に移築されて現在に至っている。
この門は,ひたちなか市指定の文化財(建造物)となっている。
本堂
本堂の扁額
如意輪観音?
正徳寺の門
正徳寺の門内側
正徳寺の門の説明板
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