坂東市大崎:大六天神社

過日,大六天神社(茨城県坂東市大崎)を参拝した。

境内に建立されている奉納碑によれば,大六天神社は,大同2年(807年)に創始された古い神社とのこと。

大六天神社の社殿は,とても立派なものだった。

この大六天神社に関しては,皇産霊神社であるとされることが多い。確かに,境内に建立されている奉納碑には,社号として「第六天皇産霊神社」と刻まれ,祭神として「高皇産霊神」と刻まれている。なお,配祀神として,「経津主命 大山祇命 水波能売命 火具突智命 猿田彦命 市杵島姫命 菅原道真公 佐野常世命 徳川家康公」と刻まれている。
しかし,拝殿に掲げられた扁額には「大六天神社」と記されている。また,境内に建立されている大六天神社竣工記念碑には,「大六天神社」と刻まれ,宮司の神坂氏と氏子の方々全員の氏名が列挙されているので,この神社の関係者は,例外なく,大六天を祀る神社としてこの神社を崇敬していることが明らかだと言える。加えて,奉納碑に刻まれた由緒によれば,古くから「大六天様」として崇敬されてきた神社であるとのこと。
それゆえ,神道上の学問ではどうなのかは一応別として,地元の人々にとっては「大六天神社」以外のなにものでもないことが明らかなので,そのように理解することにした。

大六天神社の境内には小さな塚があり,その塚の上に境内社の石祠が祀られている。
古墳かもしれないと考えて調べてみたところ,このあたり一帯は,北前遺跡と呼ばれる縄文時代,弥生時代,古墳時代,奈良・平安時代の複合遺跡だったけれども「いばらきデジタルマップ」上では隠滅したことになっている。それゆえ,この塚も古墳ではないということになるのだろう。
ただし,実際には,北前遺跡の所在の複数の場所にまだ遺跡が一部残存されており,全部完全に隠滅したわけではないので,何らかの理由によりそのような記載になっているものと推定される。

なお,第六天に関しては,藤縄勝祐『残っていた第六天』という本があるらしいのだが,まだ読んでいない。同書の著者である藤縄勝祐氏は,極めて優れた頭脳の持主だったと思われる。既に他界されており,生前にお会いする機会はなかった。残念。
他の関連文献等を一応読んでみて,一般論としては,第六天が戦国時代の北条氏との関係が深いということまでは理解した。しかし,坂東市大崎の大六天神社の奉納碑に刻まれた由緒とは合わないので,更に別の考察を重ねる必要性がある。

第六天または大六天に関しては以前から関心をもっており,これまで結構多くの大六天神社を積極的に訪問してきた。その履歴は,このブログサイトの検索窓から「六天」をキーワードとして入力して探し出すことができる。「六天」で検索すれば,「大六天」と「第六天」の両方で検索したのと同じ結果が得られる。


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鳥居と石段


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南西側の参道と門柱


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南西側参道脇にある土塁のような地形部分


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南西側の参道(続き)


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拝殿


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拝殿の扁額


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社殿側面


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大六天神社竣工記念碑


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手水


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奉納碑


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境内社


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塚状の地形部分


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塚状地形部分の上に建立されている境内社


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境内社近影


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境内社近影
(地荒神・稲荷大明神・金山大権現・愛宕山大権現)
(雷神宮)


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境内社


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大六天神社の鳥居付近から見える反町閘門橋



 臨済宗大徳寺派祐泉寺ブログ:全国の大六天の分布

 里のあさじろう:サバ神社探究



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