旭市清和乙:熊野神社(その1)
過日,熊野神社(千葉県旭市清和乙)を参拝した。祭神は,速玉之男命・伊邪那美命・事解之男命。猿田大神を合祀している。
熊野神社は,大同元年(806年)に海上郡三川浦で創始された古い神社とされている。天暦9年(955年)に現在の鎮座地(松澤荘)に遷座し,格式の高い神社として崇敬され続け,鎌倉時代には千葉常胤から寄進を受け,江戸時代には徳川家から寄進を受けたとのこと。
熊野神社に関しては,千葉縣香取郡役所編『千葉縣香取郡誌』(大正10年)の369~370頁に詳しい解説がある。同書370頁には「宇井氏世々社職たり」と書かれているが,現在の宮司は上代氏となっている。
現在の社殿は昭和44年に再建されたもの。とても立派な社殿だった。
熊野神社の参道は幅が広く独特のつくりとなっている。その参道には,熊野神社の境外社である薬祖大神と子安神社の社殿がある。
「薬祖」とは珍しい呼称だと思いながら社殿を拝見していたら,たまたま通りかかった地元の方から声をかけられたので挨拶し,「珍しい社名の神社なのでどういう神社なのだろうと思っていたところだ」と説明した。すると,その方から薬祖大神の来歴等について懇切に御教示いただくことができた。まことにありがたいことだと思う。
この社殿の中には御神輿が安置されており,祇園祭が挙行されるとのことなので,実質的にみて,八坂神社なのだろうと思う。しかし,祭神は,あくまでも薬祖大神。
なお,薬祖大神は,明治時代に神仏習合が解消されるまでは薬師堂として祀られていたらしい。子安神社もまた,神仏習合が解消されるまでは子安観音堂として祀られていたのではないかと想像される。
熊野神社の参道には大きな杉があり,旭市の文化財(天然記念物)に指定されている。
熊野神社入口付近
歌碑
古い石祠
鳥居
参道
薬祖大神
薬祖大神社殿の彫刻(一部)
同上
子安神社
大杉
同上
大杉の説明板
熊野神社の門
一般に,薬祖大神とは,大己貴命・少彦名命のことを指すが,神社によっては,古代中国の神農のことを指すこともある。
神農は本草と深い関係があるので,日本国における大己貴命・少彦名命,薬師如来,神農の信仰は,本当は根を同じくするものだったのではないかと考えられる。
古代においては,かなり大きな規模の寺院や神社でなければ(聖徳太子の伝承にも含まれているような)薬園を維持することができなかったと推定される。そのことから,古代における医学・薬学の拠点の大部分は,格式の高い大きな寺院や神社だったと推測される。
松沢 熊野神社 松澤荘
松沢 熊野神社 松澤荘:境外社 薬祖大神祭礼(祇園祭)
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