埼玉県比企郡ときがわ町西平:慈光寺(その1)

過日,天台宗・都幾山一乗法華院慈光寺(埼玉県比企郡ときがわ町西平)を参拝した。本尊は,十一面千手千眼観世音菩薩。
坂東三十三箇所観音霊場第九番札所となっている。

慈光寺は,天武天皇の白鳳2年(673年)に興福寺の僧・慈訓が慈光山に登り,春日老翁なる化人から授けられた千手観音を安置し,観音霊場として創始されたのが始まりとされている。春日老翁とは藤原不比等のような藤原氏の頭領のことを指すのかもしれないが,現在のところ解明されていない。
寺院としては,宝亀元年(770年)に道忠により開山されたとのこと。

慈光寺の初期の歴史に関しては,都幾川村史編さん委員会編『都幾川村史 通史編』(平成13年)の76~82頁に解説がある。その中で,同書77~78頁には,浄土院(現在の天台宗・廣厳山般若浄土院浄法寺(群馬県藤岡市浄法寺))を拠点として布教活動をした道忠(鑑真から戒律を学んだ僧)の慈光寺に対する影響を示唆する解説がある。
同書132~151頁には鎌倉時代における慈光寺の発展に関する解説があり,その中に青石塔婆(板碑)に関する詳細な解説もある。
同書177~188頁には南北朝時代~室町時代における慈光寺の状況に関する解説がある。同書316~318頁には江戸時代における慈光寺山麓の平宿に関する解説がある。同書392~398頁には,臨済宗妙心寺派・拈華山霊山院(埼玉県比企郡ときがわ町西平)との関係を含め,江戸時代における慈光寺の状況に関する解説がある。
鶴岡静夫『関東古代寺院の研究』(弘文堂,昭和44年)の161~210頁には,慈光寺に関する考察結果が示されている。

慈光寺所蔵の法華経一品経・人記品第九及び法華経一品経・堤婆達多品は,国法となっている。
慈光寺所蔵の紙本墨書大般若経600巻中の残巻152巻,慈光寺の開山塔,寛元三年銅鐘,金銅密教法具,青石塔婆(板碑)は,国指定の重要文化財となっている。
紙本墨書大般若経600巻中の残巻152巻には前上野國大目従六位下安部小水麻呂により書写されたとの奥書がある。そのため,この紙本墨書大般若経600巻中の残巻152巻は,「小水麻呂経」と略称されている。

慈光寺の絹本着色徳川家康画像,絹本着色天海僧正画像,木造聖僧文殊菩薩坐像,木造宝冠阿弥陀如来坐像,木造千手観音立像,蔵骨器,慈光寺開山塔出土金具等は,埼玉県指定の文化財となっている。

慈光寺の観音堂,鰐口,木造十一面観音菩薩立像,日吉山王七社版木は,ときがわ町指定の文化財となっている。

慈光寺本堂前にあるタラヨウジュは,埼玉県指定の天然記念物となっている。

慈光寺所蔵の伝毘沙門天立像は,平安時代の作と推定されている。この伝毘沙門天立像に関しては,関根理恵・辻賢三・石栗太・相蘇春菜「都幾山慈光寺所蔵木造伝毘沙門天立像の再修復処置について」江戸川大学紀要25号51~62頁(2015年3月)に詳しい解説と分析結果がある。この論文の中では,現在の東北地方で作成された像ではないかとの推定が述べられている。なお,毘沙門天像の歴史に関しては,佐藤有希子『毘沙門天像の成立と展開』(中央公論美術出版,令和4年)が非常に参考になる。

さて,慈光寺の青石塔婆(板碑)は,現在では消滅している慈光寺山門のあった場所に並んでいる。全部で9基あり,その中の5基は特大の板碑となっている。

刻まれている文字の意味がわからなくても,その姿を目にするだけである種の感慨を覚える。

これらの板碑の背後などには僧の墓石や供養塔などが並べられている。


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慈光寺山門跡所在地付近の様子


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慈光寺山門跡所在地付近の近影


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慈光七井めぐり入口付近


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板碑の説明板


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南の方から見た板碑群所在地付近の様子


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南の方から見た板碑群の近影


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特大の5基の板碑


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小型の板碑など


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同上


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北西の方から見た板碑群所在地の様子



 慈光寺

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