印西市和泉:泉倉寺
過日,天台宗・天龍山泉倉寺(千葉県印西市和泉)を参拝した。
泉倉寺は,関東百八地蔵霊場第六十八番札所,印西大師八十八所霊場第一番札・第五番となっている。
本尊の木造延命地蔵菩薩坐像は,千葉県指定の有形文化財となっている。
泉倉寺は,大同2年(807年)に慈雲山勝光寺延命院と号して現在の天台宗・玄林山勝光院龍腹寺(千葉県印西市竜腹寺)の境内地に創始された古い寺院。後に天龍山龍腹寺と改号した。天龍山龍腹寺は,千葉氏の保護を受け,大いに栄えたが,北条氏との争いの中で焼き討ちを受け,仁王門以外の堂宇を焼失した。その際,僧侶らは「天龍山」の扁額を抱えて比叡山に逃れたと伝えられている。
その後,地名に因み寺号を「泉倉寺」と改めた上で,現在の境内地所在地に中興開山された。
他方,元の天台宗龍福寺の境内地には玄林山龍腹寺があるため,結果的に,元の天龍山龍腹寺が玄林山龍腹寺と天龍山泉倉寺という2つの寺院に分かれたのと同じようなこととなっている。
千葉縣印旛郡役所編『千葉縣印旛郡誌』(大正2年)の復刻版である『千葉県印旛郡誌 後篇』(臨川書店,昭和60年)の548~549頁には,後北条氏が亡びた後に現在の境内地において泉倉寺として中興開山となった際の奇異な出来事に関する寺伝の詳細な解説がある。
また,同解説によれば,元は四脚門等の壮麗な堂宇が並んでいたようなのだが,文久年間に火災により,庫裏一棟を残して焼失したとのこと。現在の地蔵堂の建立時期の詳細は不明とのことだが,同解説の547頁には「傳云 彦根侯夫人の建立と 降雨を祈れば忽ち靈験あり」と書かれている。
この解説から推定すると,地元の農業とも関連して信仰されてきた寺院なのではないかと思う。
表参道と門柱
参道続き
本堂
客殿
境内地南西側参道の門柱
木造延命地蔵菩薩坐像の説明板
印西霊場第一番
印西霊場第一番の御詠歌
印西霊場第五番
印西霊場第五番の御詠歌
毘沙門天
印西市:木造延命地蔵菩薩坐像
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