常陸太田市東三町:法然寺

過日,浄土宗・圓覺山稱名院法然寺(茨城県常陸太田市東三町)を参拝した。本尊は,阿弥陀如来。

法然寺は,延元元年(1336年),蓮勝上人(佐竹義繁の五男)により開山の古い寺院。佐竹氏から保護を受けた。

法然寺の山門は,二階に丸窓のある竜宮門となっている。

常陸太田において浄土宗がどのようにして広まったのかについては,常陸太田市史編さん委員会編『常陸太田市史 通史編 上巻』(昭和59年)の451~460頁に詳細な解説があり,その解説の中で法然寺についても触れられている。
それによれば,蓮勝上人の没後,法然寺が一時衰退した後,慶長元年(1596年)になると復興を唱える声が高まった結果,現在の境内地(東三町)に法然寺が移され,現在に至っているとのこと。

なお,佐藤昭夫「弘長四年在銘の鉄造阿弥陀如来立像について」美術研究257号31~38頁(1969年3月25日)によれば,中染町阿弥陀堂(茨城県常陸太田市中染町)に安置されている鉄造阿弥陀如来立像に彫られている銘文の解読の結果,この阿弥陀如来立像が元は法然寺の仏像として奉納されたものであることが明らかにされたとのこと。
中染町阿弥陀堂の所在地には,元は東金砂山東清寺阿弥陀院があったが,天狗・諸生の乱の際に焼失した。その後,現在の中染町阿弥陀堂が建立された。天狗・諸生の乱の際における中染地区の激しい戦闘に関しては,水府村史編さん委員会編『水府村史』(昭和46年)の246~260頁に詳細な解説がある。
推測としては,法然寺が衰退していた時期,熱心な檀徒によって守られてきた鉄造阿弥陀如来立像が,その由来等を知る人がいなくなった後に東金砂山東清寺阿弥陀院に安置されるようになったのではないかと考えられる。
現在,この鉄造阿弥陀如来立像は,国指定の重要文化財となっている。


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法然寺山門


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本堂


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南無阿弥陀佛


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法然上人勢至丸像


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開山堂



 茨城県教育委員会:鉄造阿弥陀如来立像



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