土浦市藤沢:精泉寺と藤沢城の土塁跡
過日,浄土宗・慈光山弘道院精泉寺(茨城県土浦市藤沢)を参拝した。
精泉寺は,飯沼弘経寺とも呼ばれる浄土宗・寿亀山天樹院弘経寺(茨城県常総市豊岡町甲)の末寺として位置づけられる寺院とされている。
境内に建立されている開山上人御像の碑文によれば,精泉寺は,応永10年(1403年)頃,観譽上人によって開山された寺院とのこと。かなり古い寺院ということになる。
精泉寺の墓地区画の北端付近はかなり大きな土塁跡となっている。この土塁跡の南側斜面部分は既に墓地化しているけれども,精泉寺の北西側を通る公道から見ると,土塁跡として観ることができる。
かつて,精泉寺の境内地の北東隅付近にも土塁があったのかもしれないけれども,現在では明確に土塁として認識可能なものはない。
要するに,精泉寺の境内地は,藤沢城の郭の一部であり,藤沢城が存在していた当時から既に寺院境内地だったとすれば,寺郭のような場所だったのではないかと考えられる。
なお,精泉寺の歴史に触れた研究論文として,小野威人「浄土宗旧檀林寺院における本末組織に関する考察-飯沼弘経寺に残る開山忌関連史料から見えてくるもの-」頸城野郷土資料室学術研究部研究紀要 Vol.3/No.4(2018.5.20)がある。
精泉寺山門
本堂
境内地北東側付近の様子
精泉寺開山上人御像
地蔵尊
墓地区画内にある道祖神
墓地区画北西端付近に残る藤沢城土塁跡の一部
北西の方から見た精泉寺境内地北東端付近の土塁跡
ホオジロ(Emberiza cioides)
スズメ(Passer montanus)
精泉寺の境内地から西の方に少し離れたところに土塁の一部だったと推定されるものが残されている。ただ,私有地内にあるので,公道から見える範囲内で見学した。
これらの土塁跡は,遍照寺の墓地区画東側にある土塁跡まで連続していたものだと考えられている。
現況では部分的に残されているのみなのだが,それでもかなり立派に保存されている方だと思う。一般的には既に掘削され何も残されていないことのほうが普通だ。
その土塁跡と推定されるものの所在地から更に西の方にある公道の分岐点付近には道祖神が祀られている。
藤沢城土塁跡の一部
同上
(写真右下は空堀跡の一部?)
馬頭観世音
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