旭市ニ:太田神社
過日,太田神社(千葉県旭市ニ)を参拝した。祭神は,面足神・惶根命。
太田神社は,永正2年(1505年)に創始の古い神社。旭市史編さん委員会編『旭市史 第2巻 近世北部史料編』(昭和48年)の243頁と千葉縣海上郡教育會編『千葉縣海上郡誌』(大正6年・復刻版昭和60年)の981~982頁に太田神社の解説がある。『旭市史 第2巻 近世北部史料編』によれば,太田神社は,元は「大六天」とも呼ばれたとのことなので,明治時代の神仏分離までは神仏習合の神社だったと推定される。太田神社の境内地外れには小規模な墓地区画もある。
一般に,面足神は,神仏習合の時代においては,仏教における第六天魔王(他化自在天)の垂迹とされた。面足神(男神)と惶根命(女神)とは,対になって一緒に祀られることが多い。
あくまでも一般論としては,そのようにして対になって祀られるのは,非常に古い伊弉諾神・伊弉冉神の信仰と同様のものであった場合もあり得るし,仏教における聖天の信仰が転化したものであった場合もあり得ると考えられる。
しかし,旭市の太田神社の面足神・惶根命の由来の詳細に関しては不詳だが,境内社として子安神社が祀られていることが理解を助ける。
太田神社の鎮座地の旧地名は「五味塚」となっているので,何らかの塚があった場所と思われ,現在でも本殿裏にはそのような雰囲気を漂わせている塚状地形があるけれども,古墳時代の遺跡包蔵地とはされていない。
この塚状地形部分は,砂丘地の残骸のような自然地形の一種とされているようだ。この点に関しては,旭市史編さん委員会編『旭市史 第1巻 通史編・近世史料編』(昭和55年)の16~21頁に詳しい解説がある。
太田神社の鳥居から見て東側隣地一帯は,西ノ崎遺跡と呼ばれる奈良・平安時代,中世,近世の複合遺跡の遺跡包蔵地となっており,土師器などが出土しているとのこと。
西の﨑遺跡の所在地の大部分は宅地化してしまっているけれども,太田神社の脇(東側)付近にはその雰囲気がまだ残されており,西ノ崎遺跡の所在地の一部と思われる場所に大きな石尊大権現が祀られている。
太田神社の鳥居の向い側(南側)には小さな鳥居があり,その奥に道祖神が祀られている。この道祖神の由緒等の詳細は不詳。
太田神社の境内では,男虎相撲という相撲が奉納されるとのこと。境内で相撲を奉納する例は全国各地にあるが,太田神社では特に賑やかだったようだ。
諏訪大神(千葉県香取郡東庄町笹川い)を思い出した。
鳥居と参道
拝殿
左側の狛犬
右側の狛犬
神紋
本殿
本殿の彫刻(一部)
本殿の彫刻(一部)
本殿の彫刻(一部)
本殿裏の塚状地形の様子
同上
太田神社の由緒沿革碑
境内社(子安神社)
境内社(厳島神社)の鳥居
境内社(厳島神社)
境内社(厳島神社のある弁天池)
境内社(熊野神社・稲荷神社?)
手水
黒虎相撲の説明碑
力石
古い手水
太田神社鳥居脇にある土塁残骸のような地形部分
太田神社の鳥居脇にある石尊大権現
道祖神の鳥居
道祖神
道祖神の鳥居脇にある供養塔
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