常陸太田市馬場町:馬場八幡宮再訪

過日,馬場八幡宮(茨城県常陸太田市馬場町)を再訪し,参拝した。

改めて境内を拝見してみて,馬場八幡宮は,佐竹氏の影響が強く残る神社だということを再確認した。

秋田に移る前の佐竹藩は,源義家との関係の深さから,八幡神社を崇敬した。そのため,江戸氏を滅ぼし,常陸太田から水戸に進出した後は,宗教の面においても江戸氏の影響を払拭するため,江戸氏が崇敬した春日神社を水戸の外に移転させ,水戸八幡宮(茨城県水戸市八幡町)を創始するなどした。この点に関しては,常陸太田市史編さん委員会編『常陸太田市史 通史編 上巻』(昭和59年)の417~420頁に解説がある。

水戸徳川家による水戸藩になった後,徳川光圀により,密教系寺院の大規模な整理が行われたのと同時に,「八幡改め」と呼ばれる八幡神社の取り潰し政策が断行された。これは,宗教の面における佐竹氏の影響を払拭するためのものだとされている。この点に関しては,『常陸太田市史 通史編 上巻』の732~745頁に解説がある。
そのような宗教政策の断行の中で馬場八幡宮と若宮八幡宮だけは取り潰しが行われなかった。その原因に関し,同書744頁は,「この両社が水戸城下の八幡宮とともに,常陸地方に土着帰農した佐竹氏の旧臣や,一般農民の信仰の中心となっていたため,光圀もあえてこの両社だけは手を付けず,むしろ多くの除地を与えるなどして,農民支配の一助にしようとしたのではないかといわれている」と述べている。私もそうだったのだろうと考える。


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拝殿


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拝殿正面の彫刻


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同上


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拝殿の彫刻(一部)


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本殿側面


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社殿側面


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拝殿正面屋根の佐竹紋


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境内地にある亀の子山古墳


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同上


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馬場八幡宮始まりの場所
(古墳由来の石材?)


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社務所



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