小美玉市下馬場:鞭の下古墳群再訪
2024年3月中旬のことだが,鞭の下古墳群の所在地(茨城県小美玉市下馬場)を再訪した。
鹿島神社に参拝した上で,古墳群を見学。鹿島神社の境内地にも塚状地形部分がある。鹿島神社の境内地の大部分は,宮貝塚と呼ばれる縄文時代の貝塚遺跡となっている。そのことから,この塚状地形部分は,縄文時代よりも後に盛土されて構築された人工物であることが明らかなのだが,現在までのところ古墳とはされていない。土塁の一種のような扱いなのかもしれない。
小川町史編さん委員会編『小川町史 上巻』(昭和57年)の70頁によれば,鞭の下古墳群の1号墳は,高さ約5m・径18mの円墳であり,通称「津島塚」と呼ばれ,2号墳は,高さ約2m・径約6mの円墳であり,通称「鹿島塚」と呼ばれ,いずれの古墳も削られて変形しているとのこと。
いばらきデジタルマップ上では,1号墳の所在地だけが表示されている。2号墳は,1号墳の南東約50mのところにある。
なお,鞭の下古墳群の所在地は,下馬場遺跡と呼ばれる縄文時代の集落跡の遺跡包蔵地の上にある。古墳時代には既に集落ではなくなっていたということなのだろう。
鹿島神社の拝殿
鹿島神社境内地にある塚状地形部分(一部)
鹿島神社境内地にある塚状地形部分(一部)
北の方から見た鞭の下1号墳
西の方から見た鞭の下1号墳
(墳丘の背後地一帯が下馬場遺跡の所在地)
南西の方から見た鞭の下1号墳
南の方から見た鞭の下2号墳
鞭の下2号墳の所在地付近からは大寺後遺跡と呼ばれる縄文時代の集落跡の遺跡包蔵地が見える。この大寺後遺跡の東側には舌状台地の先端のような地形の場所があり,現況は畑と墓地となっているが,立地などから見て,何らかの遺跡包蔵地であることは間違いないだろうと思う。
北の方から見た大寺後遺跡所在地付近
(手前の総体的に低い緩斜面部分が遺跡包蔵地)
(右手奥は塙野球場・左手奥は墓地区画)
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