小美玉市竹原:竹原城跡
過日,竹原城跡(茨城県小美玉市竹原)を訪問した。
大掾貞国の弟・大掾義国(竹原四郎義国)によって長禄2年(1559年)に築城された城とされている。城跡としては,全体として規模が小さいので,館または砦のようなものだったのではないかと推定される。
天正18年(1590年),佐竹氏は,大掾氏の居城・府中城を攻めた。大掾義国の子・大掾清幹は,その際に自害した(または,殺された)とされている。そのようにして大掾氏が滅んだ後,竹原城も廃城となったと考えられているようだ。
竹原城の本丸跡の現況は,山林となっており,本丸に登ることのできる唯一の道部分は竹藪になっていたので,本丸内の見学は断念した。
本丸の北東側に隣接する二の丸及び三の丸の所在地の現況は果樹園と耕地のようになっている。農道と思われる道から見学可能な範囲内で見学した。
竹原城跡から見て北東側と東側に位置する段丘崖付近は竹原城の出城だとされている。手持ち時間と残存体力の関係もあったが,現況において通行可能な道があるかどうか不明であり,無理に立ち入ることは控えるべきだと判断し,公道から見える範囲内で見学するのにとどめた。
北の方から見た竹原城跡
(中央奥が本丸跡・右手前が二の丸跡)
北東の方から見た竹原城跡
(左手の山林部分が本丸跡・右手の平坦地が三の丸跡)
東の方から見た本丸
本丸北東側を通る農道
本丸への登り道付近(藪で通行不可)
本丸北東側外側にある説明板
北の方から見た説明板所在地付近
(左手は三の丸所在地西端付近)
西の方から見た二の丸(左手)と三の丸(右手)内の様子
本丸の北西側にある耕地の様子
本丸の西側にある耕地の様子
北の方から見た二の丸内の様子
(写真奥は本丸所在地)
北の方から見た竹原城の北東側出城所在地
南東の方から見た竹原城の北東側出城西端付近
北の方から見た竹原城の東側出城所在地
余湖:竹原城(小美玉市竹原字館)
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