筑西市久地楽:新治廃寺跡(その2)
過日,新治廃寺跡(茨城県筑西市久地楽)を見学した。
新治廃寺跡は,国指定文化財(史跡)となっている。協和町史編さん委員会編『協和町史』(平成5年)の131~138頁に詳細な解説がある。
現地に駐車場はないので,筑西市のお勧めに従い,協和の杜公園(茨城県筑西市久地楽)の駐車場にクルマを停め,そこから先は徒歩で往復。
新治廃寺跡の遺跡所在地の南側から遺跡所在地に入り,金堂跡などを見学した後,講堂跡所在地などを見学した。金堂跡などの所在地付近は史跡公園として整備されているけれども,それ以外の場所は現に耕作のために使用されている農地(私有地)であり,勝手に立ち入ることはできないので,散策路または農道と思われる道路から見える範囲内で見学した。
金堂跡では,方墳のような形状の基壇部と礎石を見ることができる。金堂跡の東側に東塔跡の基壇部があり,金堂跡に西塔跡の基壇部がある。一見すると方墳が3基並んでいるように見える。
金堂跡の南に中門跡がある。
現在はわからなくなってしまっているけれども,中門跡所在地の更に南側に南門があったかどうかは分からないが,もし南門があったとすれば,現在の国道50号線の敷地内またはその南側だったのではないかと想像される。新治廃寺跡所在地から新治郡衙跡(茨城県筑西市古郡)までの間に直線状の参道があったのかどうかはわからない。国道50号線が現在の状態に拡幅工事される前の時代の地形図などから考えると,筑西市古郡地内の集落の間を通る現在の道路の所在地とは異なる場所に道路があったのではないかと考えられる。
2024年6月19日現在,いばらきデジタルマップ上では,新治廃寺跡遺跡の範囲は,国道50号線の敷地を越えて更に南の方まで及んでいるように表示されている。ただし,国道50号線の道路拡張工事の際に大規模な掘削を伴う土木工事が実施されたことが現況からも明らかなので,国道50号線の敷地の地下に相当する部分の遺跡は既に破壊され,消滅していると考えられる。
他方,金堂跡の北には,講堂跡,食堂跡,僧房跡及び北門跡が並び,僧房跡と食堂跡の西側に経蔵跡がある。中門跡~僧房跡の所在地の範囲の外側に更に別の回廊が廻らされており,二重回廊になっていたかどうかはわからない。
現在,北門跡よりも北側の土地は新治廃寺の所在地であるとはされておらず,これまで新治廃寺跡として発掘調査等が実施された範囲の場所だけが新治廃寺跡だとされている。このような意味での現在の新治廃寺跡遺跡の北側には新治廃寺北遺跡と呼ばれる縄文時代,古墳時代,奈良・平安時代の複合遺跡の遺跡包蔵地がある。この新治廃寺北遺跡の中に新治廃寺の一部を構成する別の堂宇等の遺構が存在するかどうかはわからない。
現代の最新の非破壊検査方法により調査する価値はあると考えられる。
2024年6月19日現在,いばらきデジタルマップ上では,筑西市立農業資料館の敷地北側には台原遺跡と呼ばれる縄文時代,古墳時代,奈良平安時代の集落跡遺跡の包蔵地があり,香取神社の境内地の北側には古郡台原古墳群と呼ばれる古墳群の遺跡包蔵地があることになっている。
南東の方から見た中門跡~金堂跡付近のほぼ全景
南東の方から見た金堂跡所在地付近
説明板
南の方から見た中門及び回廊南側部分所在地付近
東の方から見た中門及び回廊南側部分所在地付近
北東の方から見た東塔跡(左手前)・金堂跡(中央)・西塔跡(右奥)
南の方から見た金堂跡
南西の方から見た金堂跡
金堂跡上の樹木と石材
同上
金堂跡の礎石(一部)
同上
南の方から見た東塔跡
東塔跡の心礎
金堂跡から見た東塔跡
南の方から見た西塔跡
東の方から見た西塔跡
南東の方から見た西塔跡
南東の方から見た講堂跡
南の方から見た講堂跡
西の方から見た講堂跡
北西の方から見た講堂跡
南西の方から見た北門跡~経蔵跡~僧房跡付近の様子
西の方から見た北門跡付近の様子
西の方から見た経蔵跡付近の様子
北東の方から見た僧房跡~食堂跡付近の様子
新治廃寺北遺跡所在地付近
筑西市立農業資料館
新治廃寺跡付近で見たハクセキレイ
(Motacilla alba lugens)
茨城県教育委員会:新治廃寺跡附上野原瓦窯跡
筑西市:新治廃寺跡(附上野原瓦窯跡)
史跡新治廃寺跡附上野原瓦窯跡保存活用計画【概要版】
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